度重なる少年犯罪 子供をどう育てるか
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6件の加害・被害少年犯罪を担当するなかでみえてきたもの
 (2000.6.1)

弁護士  毛 利 正 道


4、三つの原因その2 バーチャルリアリティ(仮想現実)の世界

 子供たちが暴力を肯定する原因の二つ目として、すさまじいバーチャルリアリティの世界があると思います。わたし自身、98年春のバタフライナイフによっる教師殺害事件直後、私の子供に聞いてみました。「どんなゲームソフトがある?」と聞きましたら「そりゃお父さんすごいもんだよ、僕ももっているよ」、いろいろあるけどバイオハザードが一番ひどいと言ってゲームをやって見せてくれました。主人公が次々ゾンビ、一度死んで生き返った怪物ですが、ゾンビの襲われるわけです。そのゾンビを次々にナイフやバーズカ砲などで殺していかないと、自分がグロテストなゾンビから食べられてしまうわけです。これを最後まで、殺し殺しつくして最後のゴールに到達するわけです。打ち込む人は、真夜中あるいは部屋を真っ暗にしてたったひとりで三時間も四時間もやるのだそうです。ソニーという会社のプレステーションというゲームですけれど、ソニーという会社は他の家電メーカが非常に苦しい決算になっている中で、一人大きな黒字を出していましたが、このプレステーションでもうけの半分を出していたとの事です。バイオハザードのナンバー1.2が数百万枚づつ売れて、今はもっとひどいものがその後またできているということですが、大変なことだと思います。

 冒頭に述べました総務庁のテレビ、ゲームなどについての調査研究によりますと青少年全体では、平日で一人平均3時間10分のテレビを見ており、1ヶ月当たり一人の子供が見る平均暴力シーンは113回だそうです。この調査では、過去一年間に暴力行為を受けた青少年が49%おり、同じく暴力行為を加えた青少年53%いるという結果になっています。半分の青少年が、1年間の中で自ら暴力行為をし、暴力の被害者にもなっているということなんです。すさまじいことですな。今から3年前、NHKの番組で予言した、先ほどの14歳の少年の予言が的中し始めている、というのは言い過ぎでしようか。それはともかく、この調査によると、テレビの暴力シーンをたくさん見ている子供ほど、暴力行為をたくさんしているとの結果が出ました。世界中でこのような調査がたくさん行われていますが、同じような結果が出ています。ただし、このような調査結果からでは、暴力シーンをたくさん見るから暴力的なのか、暴力的な子だから暴力シーンをたくさん見るのかということは、はっきりしていないと指摘する学者もいます。
それは確かにその通りかもしれませんが、バイオハザードを見たときの私の実感からすれば、そんなものではありません。血がたくさん流れたり、グロテスクなシーンをたくさんみたりして気分が悪くなりました。また、私は、外国であった次の実話を聞いて実感しましたね。ある小さな女の子が、家のなかでくびつり自殺をしようとしているのを見たお母さんがびっくりして、「どうしてそんなことするの危ないじやないの」と聞いたら、「大丈夫よ、だってね昨日テレビでくびつり自殺をした人が、今日はテレビで元気にしていたよ、死んでも生き返るから大丈夫よ」と答えたそうです。仮想現実と現実の世界とが区別できなくなってしまうんですね。暴力的な映像が、それを見る子供らを暴力的にすることは否定できないと、この話を聞いて思いました。

5、三つの原因その3 いのちの大切さを知らない

 今の子供たちは、成長する過程でいのちの大切さを実感するということがほとんどありません。昔のように、地域で異年齢児集団が存在し、それを通じて地域の大人とも交流があれば、人間が亡くなったり、赤ちゃんが生まれたりすることをたびたび経験しますから、改めていのちの大切さを教えなくてもわかります。たくさんの小さなけがを積み重ねて成長していきますしね。しかし、今の子供は違います。加えて、すさまじいプレッシャーのかかった学歴競争教育のなかで、どの子も大なり小なり劣等感をもっていて(優秀な子ほど、ちょっと油断するとぐんと成績が落ちてしまいます。プレッシャーを一番強く感じているかもしれません)、自己肯定観が乏しい、自分が大事な存在なんだと実感する機会に乏しいのです。ですから、自分を「透明な存在(価値のない存在)」と思う少年が少なからず出現するのです。神戸の少年がそうでした。この点では、暴力観の調査のなかでの自殺についての設問が気になります。自殺しようとしたことがある人と、自殺しようと思ったことがある人を合計しますと、鑑別所に入っている女子の60%、そうでない女子の28%になります。女子の10人に三人近くが自殺を考えたことがあること、そして鑑別所に入っている少女は自殺をより身近に感じるところまで追い込まれている、そういうことがわかります。いのちの重みという点で、大いに気になるところです。

 私は、付き添い人活動をするとき、まず少年に、「今まで感じた、喜怒哀楽、つまり、怒ったり笑ったり悲しんだり楽しんだりしたこと全部思い出して書いてごらん。そうすれば、君は必ず変われるよ」と言います。彼らは、真剣に、それこそ人によっては保育園のころのことからびっしりとノートに書きます。強盗した少年は、大学ノート83頁にびっしり書きました。そして最後に「おれはこのノート書いてみていろいろ考えさせられました。おれのなかで何かがプラスになったと思います」と書きました。このように書いてもらうと、誰もひとりでテレビゲームをして楽しかった、ということは書きません。すべて、家族や友達や親戚や周りのいろいろな人たちとの交流のなかで喜怒哀楽を感じたと具体的に書きます。この強盗をした少年は、「自分は今までひとりで大きくなりひとりで生きているかのような気になっていたけれど、そうじやなくて、大勢の人のなかで生きできたんだなということがわかった」と言いました。つまり、自分という存在が、多くの人によつて支えられているんだ、生きているんだということを初めて実感したのです。このように、自分がかけがえのない大切な存在だということに気づくと、自分が加害した被害者もかけがえのない大切な存在なんだということに容易に気づくことができるのです。
この少年は、自分の価値について「おれという人間はこの世に一人だけです。だからおれにしかできないこともあるはずです。そして、おれを必要とする人もいるはずです。おれがいるからできるということもあるはず、人間ひとりひとりがいるから世界がある。俺は世の中の役に立てるはず。だから自分はダメ人間とか、やってもしようがないとか思わずに、これからの自分を見捨てないて頑張っていきたいです。」と書きました。このように書けて初めて被害者の痛みもわかります。彼は、「おれは他の人の痛みを分かれる人間になりたいと思います。そして自分も嫌なことは人にはしない、このあたりまえのことをあたりまえのようにできたらいいなと思います。今、被害者の人はどうしているのでしよう、体の傷もまだ全然治っていないと思います。動くたびに、ずきずきと痛むと思います。心の傷も深いと思います。仕事も大変だと思います。本当に大変なことをしてしまったと思います。本当に謝りたいです。社会に戻ったら、反省してきちんとした自分を見てもらって、少しでも事件の心の傷をなくしてもらいたいです。」と書いています。

 私は、今年、岡谷北部中学校のPTA会長として、入学式で次のようにあいさつしました。
 1年生の皆さん、入学おめでとうございます。私は岡谷北部中学校生徒の父母・保護者の一人として、皆さんがこの世に生まれ、いのちを授かって13年、よくぞここまで健やかに育ってくれたと心から感謝しています。オギャーと生まれたばかりの皆さんをこの手に抱えあげたときの嬉しさ、そしてこの子のためにも頑張って生きようと心をひきしめたときのことをありありと思い出します。皆さんは、自分のいのちというものを考えたことがありますか。いのちを失うということを考えるとわかりますね。周りの人たちと一緒に楽しんだり泣いたり遊んだり笑ったり喧嘩したり、夢や希望を持つたりすることが全部なくなってしまうことですね。そして皆さんがいのちをなくすということは、ご両親・兄弟・お友達など周りの人々にとつては、あなたとのこのようなつながりがプッツリなくなってしまうことなんです。うちの子はできが悪かったから死んでもあまり悲しくなかったなんて言う親は一人もいませんよ。皆さんはいのちを大事にして生きていること自体がすばらしいことなんです。自分のいのちをなによりも大事にしてください。
そしてもうひとつ。
 すばらしいかけがえのないいのちを持っている人はあなただけではない。クラスや部活のお友達も、周りの人たちもひとりひとりがみんな大事な大事ないのちを持っていることを分かってくださいね。お友達のいのちも、自分のいのちと同じように大切にしください、お願いします。今日お話したことを大人になるまで忘れず、胸の片隅に置いてもらえればとっても嬉しいです。このようにあいさつしました。

  もうひとつ、絵本を紹介します。童話屋から発行されている「おかあさん」という本です。絵が大きくてとてもきれいですから、ぜひ本物をみてください。この本は、小さな少女が主人公です。自分のおかあさんのことを話しています。

あの毛系のおくるみを着て笑っているこの赤ちゃん、私のおかあさんなのよ。
これはおかあさんが子供だったとき.髪の毛は、ちよっとまきげ。お人形が好きだったんですって。
これはおかあさんが学校に、いってたとき。靴下がダブダブで洋服もぶかぶかだね。
これはおかあさんがハイスクールのとき。ボーイフレンドがたくさんいたんてすって。
これはおかあさんが大学を卒業したとき。四角い帽子をかぶってガウンを着てる。黒い眼と髪によくにあってるね。
これはおかあさんの花嫁姿。ま白いお花みたい。
ほら、お父さんがいるわ。おかあさんといっしょに。お父さんの手が後に見えるでしょう。
あのね、おかあさんは私に会う日を楽しみにずっと待っていたんですって。
そしてね、それから私がきたの  赤ちゃんになって  

いかがでしようか、無条件に、生きているだけて、皆すばらしい存在なんです。そのことを、いま、真剣に子供たちの目を見ながら伝えていくことが必要だと思います。私は、わずか三分間のPTA会長挨拶に、渾身の思いを込めました。朝この話をしただけで1日中ぐったりしてしまいました。大人が周りの子供らにこのように真剣に伝えていけば、私の強盗した少年のように、必ずしっかりと分かってくれるはずです。  (3/3へつづく)


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