度重なる少年犯罪 子供をどう育てるか
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  6件の加害・被害少年犯罪を担当するなかでみえてきたもの 
(2000.6.1)

弁護士  毛 利 正 道


1、凶悪犯罪をだれが起こしても不思議がない世界

 このゴールデンウィーク中に起こったバスジャック殺人事件や豊川の人を殺す経験をしたかったという事件だけではありませんね。少年が犯罪の加害者となったり、被害者となったりするケースが増えているだけてなく、日頃、問題行動を起こしたことがない少年が、重大な凶悪犯罪を起こすケースが目立ちますね。総務庁青少年対策本部か今年5月はじめに発表した、「青少年の暴力観と非行に関する研究調査の概要」は、全国の中学高校に通う2,000名の少年と、全国の少年鑑別所に入っている1,400名の少年に調査をしたもので、とても貴重です.また、同対策本部が昨年9月に発表した、「青少年とテレビ、ゲームなどにかかわる暴力性に関する調査研究の概要」も、全国の小中学生3,000人、保護者3,000人から調査したものでこれも貴重です。いずれも、インターネットで検索できますので引き出して見てください。
http://www.somucho.go.jp/youth/hikoug.htm

 その青少年の暴力観の概要には、昨今の青少年非行の特徴として、凶悪粗暴な犯罪の増加が目立ってきている、また、日頃は問題行動の見受けられない青少年が、突然、対教師暴力や犯罪を行うという突然型非行も目立ってきている、と冒頭述べられていますがその通りだと思います(ただし、私は非行という言葉は使いません)。私は、この3年間に少年が犯罪の加害者被害者になった六件の事件を担当しました。そのうち三件は、少年や少女が集団で、少年少女にリンチを加え殺した事件について、遺族である父母から依頼されて加害少年やその両親に対して損害賠償を請求する民事裁判を起こしています。また、残りの三件はいずれも少年が暴行傷害事件を起こした時に家庭裁判所で付添人としてその少年の弁護活動をしました。

 その三件の集団リンチ事件というのは、少年八人で二人の少年を加害し一人を死亡させた事件、少年15人で一人の少年を死亡させた事件、少女九人で一人の少女を死亡させた事件です。どれもひどい事件ですが、なかでも少年15人で19歳の百瀬俊彦君を夜中2時間にわたって加害した事件は、文字通り、見るに耐えない、言うに耐えない、聞くに耐えないという感じです。ちょっと紹介すると、「スチールの一斗缶で被害者の後頭部を力いっぱいなぐりつけた」「学校の体育館のむきだしの鉄の柱に被害者の髪をつかんで、顔面を2回ガンガンとぶつけた」「スチール製の物置の扉を持ってきて、背中をなぐりつけた」「長さ2メートル直径4センチほどの角材で、被害者の頭や背中を4回以上殴った」「倒れている被害者の髪をつかんで、上に持ち上げてコンクリートの床に2回たたきつけた」「角材で思いっきり被書者をなぐり、倒れた被害者がちょっと待ってくださいといっているのに、それを無視して胸倉をつかんで起こし、脇腹・胸をけり、倒れた被害者の頭・顔・腹をける暴力を10回ほど加え、次の場所でも倒れている被害者を、ストンピングという方法で上から足をたたきつけるようにしてけり、脇腹・腹・背中・頭を15回ほど打撃を加え、最後には横たわっている被害者の頭から体に、小便を浴びせた」という情景が次から次にててきます。

 特に、2時間の最後の頃になりますと、倒れて動かなくなるわけですね、普通ならそこでやめます。でも、やめないのです。倒れて動かなくなっている被害者への加害はすさまじく、そのひどさは加害者側の一人が次のように自供していることから垣間みることができます。「畑の中で横たわっている被書者に、みんなでまったく手加減する様子もなく、ありったけの力でいためつけており、ときどき何かを押しつぶすような『グシャ』という気持ちの悪い音も聞こえていた。おれはこの場面を見て、まるで地獄だ、いくら恨みがあるとしてもやりすぎだ、こいつら頭がどうかしているととても恐怖に感じた。被害者が気絶した。これはやばいんじやないか、死んでしまうかもしれないと思った。被害者が意識を取り戻すとまた暴力を加え、意識がなくなると胸を抑えて意識を取り戻させて、また暴力を加える」こういうことを練り返し行ったというのです。しかも、加害者らは,「楽しかった」とまで言っているのです。

 これに対し、百瀬君のお父さんは民事の法廷で、「加害少年たちは,無抵抗の私の子供に残虐きわまる暴行を行っています。急所しか狙わないといって、集団で行っています。{痛めつけただけ}{まさか死ぬとは思わなかった}と言うのは詭弁です。一回素手で殴られても相当痛いはずです。保育園の子供でも知っていることです。それを十代後半の人間が承知して、しかも大勢でやっています。その上,俊彦をすぐ病院へ運ばずに放置し,保身のために工作をする。これがなぜ傷害致死なのか、明らかに殺人ではないですか。病院ではじめて俊彦にあわせてもらいましたが,それはひどい状態でした.顔と頭がパンパンに腫れ,両顔の回りは真っ黒く内出血していました。鼻は折れ前歯も折れているようでした.私も家内のそれが俊彦だとは、しばらくわかりませんでした。それくらい,ひどい状態でベッドに横たわっていたのです。あの悲しい事件から一年と八ヶ月がたちました。しかし、私たち家族は一日としてなくなった俊彦のことを忘れたことはありません。赤ん坊を見れば、ああ,俊彦は早産で生まれたので一ヶ月も保育器へ入っていたなあ、保育園の子供を見れば、俊彦はみんなより首ひとつ大きくなっていたなあ、バイオリンも上手だったなあと、どうしても思い出してしまいます。」と述べました。気持ちが痛いほどわかります。

 一方、付き添い人となった三人の少年の事件は、少年二人でゲームセンターで遊んでいた一人の少年に殴るけるの暴行を加え鼻の骨を折る傷害を負わせた事件、別れたいといっている彼女に傷害を負わせた事件、そしてつい最近の事件は夜中の三時ごろ酔ってカラオケハウスから出た少年3人が、駐車場で一人の20代の青年に言いがかりをつけ胸の骨を折る二ヶ月の重傷を負わせ、さらにその被害者の家まで押しかけてテレビ・ストーブ・電気こたつ・ゲーム機など家財道具いっさいを強奪したという凶悪事件です。

 少し前までは凶悪犯罪が起こっても、親は自分の子に限ってそんなことするはずがないと思うことが多かったのですが、今は違いますね、バスジャックの事件が起きたときは、自分の子があのバスの中に乗っている犯人ではないかと心配して問い合わせをした親がたくさんいたとのことです。今では、自分の子が犯罪を起こすこともあり得ないことではない、そう感じている親が多いという統計もあります。このような状況のなかで、どうしたらわが子が凶悪犯罪を起こさずに済むのか、ということを私なりに真剣に考えてみました。短期間に加害被害両面から少年事件を多数担当した弁護士は多くないと思いますし、事件以外でもここ3年間に高校生や先生・保護者に、子供の生き方について4回講演して、これをまとめて「若者たちへ過去、そして未来」として出版した私としては、強い使命感を感じているのです。私は真剣です。必死です。

2、暴力を肯定する少年たち

 私が担当した6件の事件すべてで加害少年は、理由があれば人に暴力を振るってもいいと思っていたと述べています。さすがに、無差別に誰に対しても暴力をとてもいいとは思ってませんけど、理由があれば、とは言っても、あの野郎気にくわないという程度の理由でもいいのですが、理由があれば人に暴力を振るってもいいと互いにまったく関係のない六件の事件で、まったくおなじように考えていたというのてす。私が付添い人になった3人は目の前で、直接私に話してくれましたし、3件の集団事件については、刑事の記録や民事の法廷で聞き出しました。私はこのことは大変なことだと思います。暴力を加えてはいけないと思っていたが、ついかっとなって、あるいは集団心理で暴力を加えたというのではないのです。人に暴力を加えることを積極的に認めているということなのです。

 人に暴力を加えてもかまわないという意識がベースにあれば、簡単に実際に暴力を振るってもなんらおかしくありません。6分の6ということは100分の100とも言えることです。とは言っても、自分の狭い経験だけで一般化することは少し気がひけますので、いろいろ調べていました。そのなかで先ほどの総務庁の青少年の暴力観の調査では、【人から暴力を振るわれるのは、その人が相手を怒らせるようなことをしているからだ】という選択肢に「はい」と答えた少年が五割を超えています。暴力非行をした少年少女では6割です。鑑別所に入ってない少年も五割が「はい」と答えています。要するに、暴力を振るわれるのは被害者に責任の一端があると考えているのです。本来は、どんな理由があっても、いじめや暴力は一切いけないと考えていてほしいのですがこれが現実の姿です。同じような調査結果は、たくさんあります。

・いじめられても仕方のない子もいる87%(中1コース)
・むかついた相手に仕返しするは当然63%(中3コース)
・自分の嫌いな人ならいじめてもよい36%(中2コース)
・友人に暴力を振るったことがある42%(NHK調査)

 いかがでしようか。いじめや暴力に肯定的な少年がおよそ半分程度いるのではないか、そのように思います。3年前に神戸の14歳の少年による殺傷事件が起きた後で、NHKが「14歳・心の風景」という報道番組を放映し、その記録を出版しました。その中に、14歳の少年にインタビューしている記事がありますが、その少年は次のように言っています。

 今の世の中には、青春なんていう言葉は似合わない。世紀末で、「修らの道」みたいな状況がこれから始まるんだと思っている。学校でも街でも、人々はとりたてて意味もなく暴力を振るい始める。そう、自分の意見を言う代わりに、暴力で表現する。そういう単純で原始的な暴力なり力で示す以外にコミュニケーションのとれない時代が来る。そして、自分の考えを言葉ではっきり言える人間はやがて淘汰されていく。 学校もおれのことを「お荷物」と思っているに違いない。一言で学校を表すと、「子供をいじめる大人がいっぱいいるところjと答えます。人を殺したいって思ったことは何回もあります。よく街に、目的もなく、ふらふらと歩き回っている人がいるでしょ?肩がぶつかっても、すぐ殴りかかってくるような、おれたちからすると本当にも意味のわからない人たち、そういう人たちは殺してもいいような気がする。暴力を振るって相手をいためつけるより、やつらを「もう二度と痛みのない世界に葬ってやりたい」と思う。そう思っているのはおれだけでなく、友達もみなそういう意見だ。極端なことを言うと、殺人などをしなくて済むように、劣性遺伝子をあらかじめ排除してしまう法律を作ればいいと思う。テレビに出る事件はほんの一部にすぎなくて、今の中学には小さな事件を含めれば、たぶんその数千倍くらい潜在している。その憎悪のエネルギーはすごい高まっている。おれも上級生から殴られて骨を折ったことが数回ある。生徒は、学校という檻の中に入れられた動物で先生はその飼育係。檻の中の動物は檻の中しか知らないから、もう窒息死しそう。まさに地獄絵図だ。

 そして、この14歳の少年はこのように結んでいます。 これからの世の中は、荒廃した心を持った人たちが親になっていく。そうするとまた同じことが繰り返される。おれが先に言った「修らの道」や「地獄絵図」がさらに広がると思う。

 私はこれらの実例の中から、だいたい子供たちの半分くらいの人が暴力を加えてもかまわないと思っているのではないかなと思っています。暴力と傷害とは紙一重ですから、人を傷つけてもかまわないと思ってる子供たちがたくさんいるということなんですね。やってはいけないと思っているのと、やってもいいと思っているのとではブレーキになるものがあるかないかという、大きな差異だと思います。

3、三つの原因その1 周囲の現実の暴力

 それでは子供たちがこのように暴力を肯定するのはなぜなのか、原因を考えてみたいと思います。第一の原因は、子供たちの周囲に現実の暴力があふれているということだと思います。私が付き添い人を行った三人のうちの一人に、事件から1年ほどしてから「なぜ理由があれば暴力を振るってもいいと思っていたの」、と聞いてみたんです。彼は中学の時、バイクを盗んだことが1回、万引きをした事が1回ありましたが、父親からはその時を含め3回殴られたことがあると言ってました。唖然としたのは、中学生の時、5人の先生から入れ替わりたち代わり40回ぐらいにわたって、殴られていると言うんですね。同一の機会に10回殴られても1回と数えてですよ。まず入学2日目の時にムースをつけていったら、髪の毛を引っ張られて「明日までに落としてこなかったら殺すぞ」と言われたところから始まった。美術の時間に他の子といっしょに先生をちょっとからかったら、別の体育の顧問の先生から呼び出されて、体育研究室で10発殴られ続けて格技室に連れて行かれて、それが柔道の先生でしたけれども、けられて殴られて、投げとばされて何十回もやられた、その場でですよ。また、体育館でバスケットボールをして遊んでいる時につばをはいたところ、それを見て、腹を殴られ顔も殴られた。バイクを盗んだという時も10発くらい殴られた。バレーボール部に入っていたんだけど、練習してミスをすると、先生がタイムを出して、ミスした子を殴るんだそうです。自分だけじゃなくて、他の子も殴られていると言ってました。さらに、担任の先生からは時間に遅れたりすると「なぜこなかった」と聞かれ、「こういうことだ」と弁解しようとしても弁解する機会を与えず「なんてこなかった」といいながらぶん殴る。そういうことて、1学年200人くらいの中で、15人くらい自分と同じようにいつも殴られている子がいたよと言っていました。「先生というものは殴るもんだ、悪いことをすれば殴るもんだ」という思いの中で、相手が悪ければ殴ってもいいと思っていた、と言っていました。
 その夜、家に帰って私の子のところに遊びに来ていた二人の少年に聞きました。一人は「僕も中学の時、同じように先生からボカスカ殴られていた」、もう一人の子は「僕は先生に殴られたことはないよ。だけど、おやじからは毎日のように殴られていたjと言っていました。この二人もまた、相手が悪ければ、暴力を振るってもいいとその時まで思っていた、と私にいました。
 
 この点では、子供の暴力観の調査ではどうでしようか。【小さいときに親から暴力を振るわれた経験がある】と答えた少年の割合を見ますと、鑑別所に入っていない少年が役20%なのに対し、暴力非行で鑑別所に入っている少年は42%、倍の開きがあります。女子のほうはもっと差があります。12%と46%、4倍近い開きですね

 次の、【あなたが通っている学校に体罰をふるう先生がいる】と答えた少年の割合を見ますと、男子では28%対57%、やはり倍の開きがあります。

 さらに、【気にくわないことがあるとすぐに暴力をふるう人が周囲にいる】と答えた少年の割合を見ますと、男子ではどちらもほぼ30%程度ですが、女子のほうは7%対30%、約4倍の開きがあります。
 ようするにこの調査によると、暴力犯罪を犯した少年や少女の近くには、そうでない少年たちよりも、かなりたくさん暴力をふるう人々がいるということがわかります。この結果は重要だと思います。

 また、相談に来る離婚の事件を見ていますと、直接には暴力を原因とする話ではないけれども、結婚以来の経過をよく聞いてみるとたびたび暴力を振るわれているというケースがよくあります。子供の目の前で、暴力が飛び交っているという家庭も少なくないと思います。まだまだ、暴力があるというだけては表に出しづらいというところがあるようです。

 以上のように、子供たちの周囲には現実の暴力がかなりあふれている、これが暴力を肯定する子供たちがたくさんいることの原因のひとつだと思います。 (2/3へつづく)


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