10月18日日弁連国会内(院内)学習会

与党のみの委員会「審議」が進行する中、多数の国会議員を含む100名余りの集会となりました。3人の報告者のお話の要旨です。

寺尾元調査官

子どもを大人と同じに扱うことはできない。誰でもが通り過ぎる思春期の子どもたち。

子どもの話を大人がきちんときくという機会を少年審判がうしなってしまっては少年審判の意味がなくなってしまう。

非行少年がたちなおすきっかけはそう簡単に生まれるものではなく、おどして生まれるものでもない。

少年法は子どものことを大人がどう考えるか、国家が子どもをどう考えるかという子ども観の問題である。

今回の改正の意図しているものは何かわからない。子どもを公開の法廷にたたせろというのか。子どもを長いこと刑務所にいれろというのだろうか。事実認定の問題が廃案になってあちこちいじくってわけのわからないものがでているというしかない。

少年審判は甘いといわれるが、自分の気持ちをきちんというということは子どもにとってはきついこと。この20年間では親がかわった。子どもに真剣に向き合わない親が増えている。今回の与党案は親の態度と同じでどうして理解できない事件が増えたか考えないでそれを子どもだけのせいにして排除することですませようとしている。


自立援助ホーム 憩いの家の寮母、三好洋子さん

家裁の試験観察中の子どもで、少年院退院者や行き場のない子どもたちを引き受けている。

少年審判で必要なのは再び被害者を出さないために子どもたちの痛みをとりさることだと思う。子どもが育つとは大人が苦労することを覚悟することである。

問われているのは大人の質であり、厳罰化の前にやることがあるのではないか。

憩いの家の方針は、失敗してまなばせること。失敗の体験こそ大事であり、人は人の中で人になっていく。人とのやりとりのないところで育ってくる子どもたちをみていると、安心して失敗のできる場、安心してけんかのできる場、安心して和解のできる場でありたいと思っている。

そして憩いの家だけでなく、子どもたちのまわりにいろいろな大人がいてほしい。価値観をおしつけるのでなくてみまもってほしい。


西鉄バスジャック事件被害者 山口由美子さん インタビュー全文

バスの中の様子は

しばらく乗ってから少年が包丁をふりかざし、「このバスを乗っ取るぞ」といった。そのときには少年が本当にそんなことをやるのかと思った。言葉遣いも丁寧できちんとしている子だなーと思った。不登校などで心を病んでいる子のような感じがした。

その後の様子は

一人が手洗い休憩で帰らないため激怒して自分が刺されたが、刺されたときに血を見ながら、彼はここまでついて傷ついているんだなーと思いました。彼は自分の思い通りにならないと逆上し、そうでないときは平静だった。

山口さん自身が事件にあわれて考えたこと

刺されたときに、わたしが死んだらこの子を殺人者にしてしまう。殺人者にしてしまってはいけない。我が子のためにもいきなくてはいけないと、手を心臓よりも高くして身体が倒れないように必死にがんばった。彼をなぜここまでおいこんだんだろう。まわりの大人たちはどうしてここまで彼を追い込んだのかと思った。殺人者にしようと思ってうまれてきたわけではない。子どもはまわりの大人を模倣し、環境の中に育っていく。誰もかれに手を差し伸べる人はいなかったのかなあと思った。

わたしの子どもも小学校6年のときと中学に入ったときと2回不登校となったことがある。学校ははみ出した子に対してはなにもしてくれない。親と子は孤立してしまう。わたしは不登校の親の会に入り会の親と手を握り合い共感してきたから立ち直れた。子どもが不登校になってはじめて親になることを学んだ気がする。核家族の中で親も周囲に援助の手を求められないでいるが、わたしは不登校という子どものおかげで人と人の人間関係が築けたし、そのおかげで彼のつらさもわかった。

広島の病院に入院していたとき見舞いにきた娘にあなたが不登校となったおかげでお母さんは彼を憎まないですんだ。あなたの不登校を話していいかと聞いたら、「私はもうのりこえたからいい、おかあさんいってやって、彼も被害者だよね。」と娘は言った。

少年の保護者について

ご両親は退院してまもなく見えた。「どうして子どもを今まで救えなかったのか、たくさんのサインをなぜ見逃したのか。」と聞いた。少年の父親が自分も仕事をやめて電話がかからなくなってはじめて子どもの気持ちがわかるようになった」と少年に告げたときにそれまで食事を口にしなかった少年が食べるようになった、という。

親が自分の気持ちをわかってくれるということが子どもには必要だと思う。

少年法改正についての意見は

大人が逃げているのではないか。16歳から14歳に下げるということに何の意味があるのかわからない。成長の過程にある子どもを大人はいったいどう考えているのか理解できない。14歳の子がいったい何の経験をしているのか。何を理解しているというのか。子どもは宝だというのが一般の考えだったのに、いいものをよりすぐるようにしてほかを切り捨てていくのだろうか。悪いところを除けば子どもは育っていくのに。今の子どもたちは失敗をこわがって何もできないでいる。許していくということはつらいことだけれど、大人の責任として受け止めていけたらいいと思っている。

Home /論文 /すすめる会News / 催し情報 / 活動記録 / 図書  
その他スケジュールやご不明な点は請願署名をすすめる会までお問い合わせ下さい。
東日本事務局 TEL.03-5770-6164 FAX03-5770-6165 Eメール
siten@bh.mbn.or.jp