山口由美子さんインタヴュー(2000年10月18日・日弁連院内集会)
早速ですが、ゴールデンウィークの最中、コンサートに向かわれる車中で、事件に遭われたわけですが、バスの中で事件が起こったときの少年の様子やバスの中の雰囲気などをお聞かせください。
皆さんご存知だと思いますが、しばらく乗っている途中で、少年が立ち上がって包丁を振りかざし「このバスは乗っ取ったぞ」と言ったとき、「えつ?この少年何をやる気なんだろう」と思いました。そんなことをやる子には見えなかったので本気にしませんでした。ただ、少年の持っている雰囲気が何か不登校とか、かなり病んでいる子だなということはすごく感じて、本当にひとり目の方を刺すまでは本気にしていませんでした。それで、一人目を刺した時にああ彼は本気だったんだと思って自分の中で凝固したのですけれど、それまではそんな雰囲気の子どもではない普通のなかなか言葉遣いも丁寧なきちんとした子どもだな、ほんとうに何なんだろうと思っていました。
あのバスの中で時間の経過の中で直接被害に遭われた訳ですが、その時の様子とか、その後長い時間バスの中で拘束されて、辛い時間を過ごされたと思いますが、その時の様子をお聞かせください。
お手洗い休憩の時一人出られて、その人が帰ってこないことに逆上し私が刺されました。刺された時に、私は血の流れているのを見ながら、彼はここまで傷ついていたのかなということを本当に思いました。何が彼をこんなに傷つけてしまったのかなと、何か痛みとかそんなものは何もなくて、そしてその後、かなりの出血だったので、意識が朦朧としたりわからなくなったり、途中で話し声が聞こえてきたりという状態でしたが、何か自分の思い通りにならない時に逆上する、そうではない時は平静な状態で少年はおりました。
山口さん自身が事件に直接遭われていろいろお感じになったこととか、お考えになったことがあると伺っていますがそのことについてお聞かせください。
刺された時に、本当にこれだけ(少年は)傷ついていたのかなと感じたのと、私が死んだら彼を殺人者にしてしまうと思って、バスの中で私は(刺された)手を心臓より高く上げて肘掛に手を置いていました。それで下腹にウーンと力を入れて、倒れないように頑張って、彼を殺人者にしてはいけない、また我が子のためにも生ききらなければいけないと思って頑張りました。後になって、ここまで彼を追い込んだのは何だったのか、周りのおとなは何をしていたのだろう、もっと早くに彼のこういう気持ちに気づいていたならばこんなことを起こさずに済んだのではないかと思いました。
殺人をしようと思って生まれたくる子どもはいないのであって、(育つ過程で)周りのおとなを模倣したり、また、親や学校等の環境の中で子どもは育っていくのだと思います。その中で、誰も彼に本当の手を差し伸べる人はいなかったのだろうかと、後になって思いました。バスの中では意識がなくなったり、何かいろいろ喋っているなという風に思いましたが、後になってそういう風に考えました。
バスを乗っ取った少年は、小中学校時代にいじめを受けたということと、高校に入ってから不登校になったということが報じられています。それから、山口さんのお子さんも小中学校といじめを受けて一時期不登校になったということがあり、最初バスの中で感じられたことがそのとおりだった訳ですが、こういう事件が起こる背景にいじめの問題や不登校などが問題にされることがありますが、その辺についてお聞かせください。
うちの子もいじめに遭って、小学校6年の時と中学の時に2回不登校を経験しました。そのときに相手の親御さんにも言ったのですが、学校ははみ出した子に対して何もしてくれないところなんです。学校の言うとおりに動いている時はいい子だねと受け止めてくださるんですが、そんな中で親も子も孤立していくんです。
そのとき私は不登校の親の会の「ひまわり」というところで、そこのお母様方と手をつなぎ合って、お互いに共感して、こんなことをやって子どもを立ち直らせたといった自分の経験を話し合うことによって立ち直ることができました。
だから不登校の中から親が学んでいく、本当は子育てする前に親になる勉強をしなければならないのにそれが今の学校教育の中には親になる勉強はないのです。昔はおじいちゃんやおばあちゃんとか周りの人からの援助があって子育てが出来ていたのかもしれませんが、今は核家族で親も変に自信があったりして周りに手を差し伸べない、私にもそういうところがありましたし、多かれ少なかれあると思います。
こういう不登校というマイナスを抱えてしまったおかげでそういう仲間の輪を通して、人と人との関係が築けた。子どもの不登校を通して学ばしてもらったおかげで、彼(加害少年)のつらさもわかりました。そうじゃなかったら普通の被害者みたいに「なんであんなことをしたんだろう」と彼の気持ちを理解できなかったと思います。
一度娘が広島の病院に見舞いにきてくれた時にそのことを伝えました。「あなたがいてくれたから、あなたが不登校してくれたおかげでお母さんは彼を憎まないで済んだよ」と。それで、インタヴューを受ける時にもあなたの不登校のことを語らないでは、その気持ちを語れないから、あなたのことを皆に伝えていいかと聞いたら、「私はもう乗り越えたから大丈夫、お母さん皆にそういってあげて、彼も被害者だよね」と言ってくれたんです。不登校を通じて娘がそんな風に育ってくれたのがうれしくて、なんでもOKだなと、何かあった時でも周りのおとなが、親が腹をくくってこの子と一緒にやっていこうと本気で向かったら、子どもというのは立ち直れるんです。
我が子は今高校2年生になっているのですが、中学時代は悲惨でした。顔は暗いし、すぐ突っかかってくるし、でも今行っている学校は定時制なんですけどすごくいいおとなの先生たちがいらっしゃるんです。だから娘をそのまんま受け止めてくださいます。子どもは親の環境と、周りの学校とかの環境とバランスを取りながら生きているので、親だけよくても片側飛行しかできない、親が悪くて周りだけよくてもやっぱりバランスが取れないでどこかおかしくなる。両方悪ければ最悪です。
たまたま、うちは片方もよくなって、親もよくなって、私は塚本先生から小さい頃からモンテッソーリの教育を受けていたので、(不登校が)受け止められたのですが、「大丈夫よ、あなたのいいようにしなさい」と小学校の時は受け止められました。でも中学校に入ると受験が控えているので親もそうとばかりは言っていられません。やっぱりちょっと落ち込みました。親子で七転八倒しました。そういうことがあって、今はよかったなと、マイナスを抱えることはプラスにいけるんだなということを思いました。
加害者の家族と会われて、すでにお話をされていると聞いていますが、お差し支えない範囲でどんなことを話し合われているか、また加害者の少年に対して伝えたいことがあればお聞かせください。
少年のご両親は退院してまもなくみえました。その時私は、ご両親を責めました。
「どうして、お父さんお母さんは子どもを助けられなかったのですか?今までたくさんサインがあったと思うんですよ、それをどうして見逃されたんですか」と、全部が親の責任じゃないとしても、半分はしっかりと抱えていると思うので、そうしたらそれを私は彼が刺したときにああ本気だなと思ったときにユキ(気を送ることか?)をしてあげたんです。
それも伝えました。彼が刺したときにどれだけ傷ついていたかも伝えました。それを少年に伝えてくださいました。少年は私が気を送っていたことを感じていたという、でも行きがかり上、「ぼくは山口さんを刺さんといかんやった」(山口さんを刺さないわけにはいかなかった)と少年が話したそうです。不登校になる子はこういう感受性の強い子が多いのかと改めて思いました。
親はどうしていたのかということで責めたわけですが、2回目にこられた時にお父様から、自分も仕事を辞めて、誰からも電話がかからなくなって、初めて子どもの孤独がわかって、子どもさんにそれを伝えたところ、自分をわかってくれたと思ってにっこり笑って、それまで食事をしていなかったのが、「お父さん、ぼくこれからご飯食べるよ」といってくれたと伝えてくれました。本当に悲惨な結果になっているのですけれど、子どもというのは一番は親です。親が自分の気持ちをわかってくれるということが、それが一番大事です。そこからしか子育ては出来ないと思うので本当によかったなと、お父さんの話を聞いて感動しました。
こうした事件が次々起こる中で少年法改正ということが急がれておりますが、子どもたち少年達に、被害に遭われた当事者として伝えたいことがありましたらお聞かせください。
ここまでにならなければいけなかった、大人の責任だと思います。誰も彼の心をわかってあげられなかった。おとながみんな逃げているんじゃないかと私は叫びたくなりました。
もちろん私もおとなですが、被害に遭っても、わたしも今まで声を挙げられなかったひとりであると思えば、16歳から14歳に下げることに何の意味があるのか、子どもは成長している過程です。成長している過程をいくらあげつらったところで、周りの大人の模倣とか周りの環境でしか育たない子どもを何と考えているのかと、私には理解できません。だから14歳に下げるといっても、14歳といえば未だ中学生です。何の経験もなく、何がわかっているというのか、おとながわかってあげなくて子どもが育つのでしょうか。日本では(どこでもそうですが)、子どもは宝です。特に母親の私にとっては宝です。その宝をなんで豆を選りすぐるように、これは悪い豆だからぽんと捨てるのではなくて、生きて育っている子どもなら悪いところを除いてやれば、ちゃんと育っていきます。そういうところの支援をもっと考えてほしい。
学校教育でも、昔も40人だったから40人でいいじゃないかといわれますが、昔の40人と今の40人では違うんです。私達も40人で育ったからかなり痛めつけられました。
自分がこんな場で喋れるようになったのも塚本先生から教育を受けたから、この場にも出てみようと思いました。ただ学校教育と自分の両親から受けた教育と周りからの教育だけでは、これだけ自己主張できる自分は育っていなかったと思います。
今の子どもたちは、個性を大事にしようとか、いろいろいわれながら、実際学校でやっていることはそういうことではありません。自分が不登校の子どもを持って初めてそれがわかりました。
これから本当に子どもの環境を変えていこうと思ったら、学校も親も学ばなければいけないということを、真摯に受け止めて、不登校になった子どもの親だけでなくみんなが学べる場のようなものがあったらいいと思います。
車を運転するにも免許がいるのに、親には誰でもなれる、母子手帳をもらったら勉強しましょうというような制度ができたらいいと思います。
時間に限りがありますので、最期になりましたが、少年法改正ということではなくて、私共おとなが、そして社会が真剣に立ち止まって考えることは山ほどあると思いますが、被害者になった立場から伝えたいことがあればお聞かせください。
あの少年には「つらかったねえ」という言葉とともに、私たちおとなが、おとなとして自立していかなければいけないということ、子育てしながら私も自立していなかったし、子どもにどれだけ悪いことをして育ててきたかと思うと、そこをみんなが反省しながら隣の人と手を繋ぎ合っていけたらいいと思います。
私が入院している時も友人がご飯を作ってきてくれたり、みんながひとつひとつ自分のできることをやってくれました。できないことを無理にしても仕方ないから、できることをひとつでもいいから他人のためにやっていく、そういう世の中になったらいいと思います。
最期に加害者である少年に対して何を望みますか。
もちろん人間はおとなになって、自立して自分で考えて行動して、責任を持てる人になって欲しいと思って我が子を育てているけれど、ときには失敗があっていいじゃないかと思います。今はあまりにも失敗を怖がりすぎて、何もできないでいる。失敗してそこからしか進めないというのが人間の生きていく道だと思います。だから、失敗していいから、自分の犯した罪の重さとか――実際背負いきれるものではないけれど、大人の責任なのだから皆で少しでも背負ってあげて、彼も社会に出て自立したおとなとして生活できる環境が整えられればいいな、と思っています。
ほんとうに許していくことは辛いことだけれど、おとなはそれをしていかなければなりません。犯した罪を罪としてではなく、おとなの責任として受けとめていけたらいいなと思っています。
ありがとうございました。本当に胸を打つ、そして本当の意味で社会が受け入れて許すということがどういうことなのか、改めて教えていただいた気がします。
時間になりましたので終わらせていただきます。遠くからおこしいただき、リハビリの最中だというのに、この場で貴重な体験を聞かせていただき、ありがとうございました。
(インタヴュアはカウンセラーの内田良子さんにお願いしました)
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