衆議院の審議を傍聴して(厳罰論の破綻)

11月3日 平湯 真人


1 はじめに

 衆議院法務委員会の審議は、10月6日に野党欠席のまま法案説明、次いで10日の議員質疑、13日参考人意見陳述、17日参考人意見陳述があり、その後野党も出席して24日と25日に議員質疑、27日に参考人意見陳述があったが、31日の議員質疑をもって審議が打ち切られた。前半の野党欠席の審議に馴れ合いとを言わざるを得なかったが、与党推薦の参考人からも改正の効果への疑問や慎重論が出されたこと、また後半の審議の中からは多くの問題点が剔出され、また参考人の貴重な意見が続いたことは、マスコミでも報道された(詳細は「署名をすすめる会」の当ホームページに登載の傍聴メモ(法務委員会詳細)のとおり)。

 もともと与党案の「提案理由」は次のとおりであった。((1)(2)(3)は著者がつけた。)

 (1).最初の少年犯罪の動向等にかんがみ、少年およびその保護者に対し、その責任について一層の自覚を促し少年の健全な成長を図るため、刑事処分を可能とする年齢の引き下げ、故意の犯罪行為により人を死亡させた罪の事件について検察官への送致を原則とする制度等を導入するとともに、(2).少年審判における事実認定手続きの一層の適正化を図るため、裁定合議制度並びに検察官および弁護士たる付添人が関与した審理の導入等の整備を行うほか、(3).被害者等に対する配慮を実現するため、記録の閲覧及び謄写、被害者等の申出による意見の聴取等の制度を導入する必要がある。

 以上である。すなわち(1)は家裁の処分における刑事処罰の拡充強化(厳罰化)、(2)家裁の審議手続における検察官の権限強化、(3)は被害者への配慮、である。(3)については野党も異論なく、むしろ不十分である、とのスタンスであったから、審理の中心は(1)(2)、特に(1)に集中した。ここでは(1)の論議の問題点をまとめてみたい。

2 法改正の必要となった背景(いわゆる立法事実)

 この点について「提案理由」は「最近の少年犯罪の動向等」をあげている。「等」が何を意味するかも問題であるが、「最近の少年犯罪の動向」の意味は、少年犯罪の凶悪化、低年齢化であるという説明がされている。

 しかし、この点について提案者は短期間の件数の変動をいうだけで全面的な統計分析をしようともせず、戦後日本における長期的な減少傾向とその要因について説明しようともしなかった(最終日の山花質問に谷垣議員が若干の私見を述べただけ)。また個別ケースの分析を通じて、凶悪化、低年齢化にしてないことを論証した大阪弁護士会報告も何名もの野党議員によって言及されたが与党はこれへの反論をしていない。

 また(「等」に含まれるかもしれないが)提案者は「少年法で守られる(処分が甘い)から犯行する少年がいる」と強調している。大人がなめられている、というわけである。このことを理由に年齢引き下げを容認する参考にもいた(13日の3人)。しかし、そんな少年がどれだけいるだろうか。また片言隻句を真に受けることが賢明だろうか。むしろ子どもはなぜ犯罪を犯すのか、子どもは今どのような状態に置かれているのか、その抱えているストレスや社会的な未熟性をどう見るか、野党や参考人から触れられたが、この点の基本的な議論が本来もっと必要であろう。矯正関係者が、少年犯罪の本質は未熟性ゆえである、と認識している(木島指摘)ことは重要である。

3 法改正の目的としてどのような効果を期待するか

 結論的に表現すれば、議論を重ねるごとに説明はあいまいになっていた、と言えよう。「犯罪抑止効果」は大して期待できないことは与党推薦の参考人も与党議員そのものも認めていたと言ってよい。そのために「規範意識の強化」ということが強調され、「被害者感情」が強調され、最後には「国民の危機意識」までが持ち出された。要するに「犯罪が減る保証はないが、国民の不安があるからだ」というムードに論にまでいってしまったのである。そして「家裁の処分が甘い」と攻撃された。以下4ないし7で分析する

4 犯罪防止効果はない

 まず「犯罪抑止効果」については「提案理由」に言葉として登場しない(「責任について一層の自覚を促す」とあいまいな表現だけ)ことに注目すべきである。

 はじめに年齢引き下げ問題を言い出した1998年9月の法務省の「少年犯罪に対する年齢上の区分の改正に関する基本法案」には「現在の少年法は保護優先主義に基づいて定められているが、犯罪の抑止という観点からの検討も必要ではないか」と書かれている。次いで98年12月の自民党の小委員会報告では「保護育成の理念では非行の凶悪化・低年齢化の傾向に充分な抑止力になりうるか」との提起がなされている。いずれも年齢引き下げには犯罪抑止効果がある、という前提である。それが今年5月の自民党小委員会方針では「罪を犯せば罰せられるとの法規範を明示し、犯罪を抑止する必要がある」となり、端的な「犯罪抑止」でなく「法規範の明示」を通じての「犯罪抑止」となった。そしてさらに今回の「提案理由」では「犯罪抑止」という言葉は消えて「責任の自覚」となり、「規範意識の強化」として説明されているのである。

 この変化はこの2年間の社会での「改正」論議の中で厳罰化に犯罪抑止効果がないことが次第に明らかになり、与党もそれを認めざるを得なくなっていることの反映である。13日の3参考人はいずれも法制審少年法務部会の委員であったが、一般的な犯罪抑止効果については異口同音に消極的な意見であったことが報道されている。審議の全体を通じて、この改正で犯罪はそんなに減るわけではない、ということは与党議員の認識になっていた(10日の河村議員など)。「抑止力になる」とを主張している議員もいるが(例えば10月29日日経の杉浦発言)一部にすぎない。法務官僚を代弁する上田政務次官はアメリカの例も含め「厳罰化と犯罪の増減との関係は分からない」とのスタンスをとっている。きわめつきは25日の水島議員の「犯罪抑止効果を期待して法律改正をするのであれば、根拠となるデータはあるのか」との問いに対して保岡法相が、しばらく口ごもったあと「総合的、体系的なしっかりした調査の結果、何をやればどういう効果がある、というデータはない」と自認してしまったことである。

 さらに厳罰化はかえって犯罪を増加させるのではないかとの指摘がアメリカの教訓を踏まえて指摘されている(葛野参考人など)。与党はこれにきちんと答えるべきであろう。

5 あいまいな規範意識の強化

 それでは「犯罪抑止効果」の代わりとなった「規範意識」とは何であろうか。「社会のルールを守ろうとする意識」という意味であれば、それを育てるためには子どもが社会の一員としての自覚が持てるように、幼い時から一個の人格として尊重されることが必要である。そうすることが青少年の犯罪の予防になる、ということが国連のガイドライン(リヤドガイドライン)の考え方である。

 しかし与党のいう「規範意識の強化」とは「罪を犯したら罰せられるということを明示すること」(10日河村議員・杉浦議員)であり、「怖い存在が犯罪抑止になる」という発言810月29日日経の杉浦発言)にもあるように、結局大人から子どもへの一方通行の威嚇にすぎない。このことは法務大臣が「社会全体の規範意識の強化のためには憲法や教育基本法の改正が必要であり、それは義務や責任を重視することだ」という趣旨の発言と共通しており、結局、国家が国民全体を管理し統制しようという発想から出ているのであって、市民全体のメンバー相互の尊重とは全く逆の発想であることが露呈した。

 自分の都合のよいように選挙のルールを変えたり、政治家が平気でうそをつくような大人社会を見て、子どもが社会のルールを尊重するはずがない。また威嚇しても社会性の未熟な思春期の子どもにとって殆ど行動の規制に役立たないことは13日の参考人だけでなく、27日の福島参考人や寺尾参考人からも説得的に述べられた。同様の指摘は多くの識者からなされている(例えば、堀田力氏「強制と厳罰に頼るな」論座11月号)。

 つまり厳罰化は正しい意味での規範意識の強化に役立たない、ということである。

6 「被害者感情」や「国民の危機意識」

 「規範意識の強化」ということの空しさを補うためか、政府与党の説明は「提案理由」の言葉から益々離れていった。「被害者感情」や「国民の危機意識」などである。

 しかし被害者遺族の心情も一様でないことは、審議の中からも明らかになった。27日の塚本参考人は、「国の被害者支援のないところで加害者への処分を問われれば厳罰を望むというしかないではないか、しかしそれは仇討ちと同じこと、その前に国は被害者支援を最重点にしてほしい」と強調したのは重い意見ではなかったか。また同参考人は被害者に対する罪は加害者の本当の更生によってしか償われない、と述べたのも重要なことであろう。また27日の岡崎参考人は「法律をいじるのではなく、これからの子どもをどう育てのかを議論してほしい」と述べた。被害者支援をおろそかにしながら「被害者感情」を理由に厳罰化を正当化するのは不当である。もちろん、厳罰を望む被害者遺族の意見もまた国民の声であるが、国の施策の決定にあたっては、被害者遺族の声をきちんと受け止めたうえで、社会全体の見地から適切な選択をする責務があるはずである。

 さらに法務大臣は31日に至って「国民の危機意識」をしきりに強調した。しかし、その「危機意識」はどのようにして形成されたか。この点についてマスコミ参考人(飯室東京新聞論説委員)は、厳罰化を望む世論が強いが、そうなったのはマスコミにも責任がある、と述べた。これを裏付ける改正賛成議員の次の発言が注目される。土屋議員(無所属)は選挙区でアンケートとって8割が年齢引き下げ賛成であったことの原因として「凶悪事件が続いたこと」に加え「マスコミ報道によって恐怖感を強めた、ということもある」と自らのコメントしたのである。

 このように、与党はいわば意図的につくられた「国民の危機意識」を利用して厳罰化を正当化しているのである。しかも国民は「厳罰化」によって犯罪抑止効果があり、犯罪が減少することを期待したはずである。国民の不安は選挙票集めに利用されただけであり、犯罪減少の期待は裏切られた、ということになるだろう。

7 家裁の処分は甘いのか

 さらに「家裁の処分が甘い」という理由にもならないような感情論までが立法論議に持ち込まれている。杉浦議員が逆送率が低いと強調し、「低いという根拠は何か」と問われて、「現在の逆送率が低いと見るか高いと見るかだ」と印象論、主観論に過ぎないことを露呈した。同議員は地裁からの再逆送が殆どないことも強調しているが、それは家裁の逆送がほぼ適正であることを示している、とは考えないようである。

 しかも同議員は「与党協議の場で最高裁に『甘い運用に反省があってもいいのではないか』と言ったら、最高裁は何も答えませんでした」とまで方言している(10月29日日経)。最高裁の軟弱姿勢もさることながら、このような少年法の科学性の理念を無視した乱暴な論議の仕方が通用していることは、この「改正」法案自体の問題である。

8 再犯防止と加害少年の真の更生のために何が必要か

 再犯防止効果という角度から考えて厳罰化の意味はあるのか、弊害はないのか。この点について与党はもともと関心はない。加害少年が反省して再犯を犯さないように立ち直ること、を今回の改正の目的にしていないからである。しかし、被害者を含む多くの国民にとって、この点は重大な関心事であり、野党も多くの参考人もこの点を重視して言及した。

 再犯防止のためには厳罰化はマイナスであり「凶悪」犯罪の少年に罪障感がないのは人間的な成長未熟なためであり、刑務所でなく丁寧な教育的処置を施すことによって変わりうる、という福島参考人や寺尾参考人の指摘を超える見解は、与党推薦の参考人からも述べられていない。

 少年な子どもの立ち直りのための成果を挙げてきたことは、少年に退院者の再犯率の低さからも明らかである。このことを積極的に言及したのは法務省矯正局長ではなく与党推薦の千葉参考人(篤志面接委員)であり、野党議員や野党推薦の参考人各氏であった。再犯率をどう評価するのか、評価するならばなぜ少年院送致では駄目なのか、与党はきちんと説明すべきである。

 懲役刑でも16歳未満は少年院に入れればいい、という問題ではない。それならばなぜ懲役刑でなければいけないのか。14歳の少年に懲役2年を課すのであれば少年院送致処分と変わらない。懲役3年を課すのであれば3年という拘束期間と懲役というレッテルに意味がある、というのであろうか。この点の論議はない。

 少年院収容受刑者の地位のあいまいさ、具体的な処遇をめぐって少年院現場が混乱しないか、との指摘も出されたが、与党のみの視察がなされただけで、現場の直接の意見は出されていない。(なお、民主党は14歳引き下げを認めて少年刑務所を主張している。少年院の処遇が混乱するからだ、という理由であるが、14歳引き下げを認めたことによる思考の混乱としか思えない。)

 また刑事処罰を選択して執行猶予となった少年にどういう処遇をするのか、保護観察をつければよいのか、の議論もない。(11月1日朝日社説)

9 事実認定のための逆送?

 一部提案者(杉浦議員)は、逆送は刑事処罰でなく刑事手続きに意味があり、刑事手続きにすれば捜査もきちんとされ事実認定も適正になり、審理も公開されるので被害者のためになる、最終処分として保護処分が適切であれば家裁へ再送致すればよい、という説明もしている。

 事実認定の適正ということで言えば、大人と同じ対審構造が子どもにとって真実発見のための適切な方法か、という問題もあり、審判への検察官関与も基本的に同じ問題である。対審構造では子どもの意見表明が困難になり真実が発見しにくくなる、と寺尾参考人が指摘している。

 しかし、与党は子どもにとっての真実発見を重視しているわけではない。与党がいう刑事手続のメリットは「子どもの言い逃れを許さない手続」ということである。逆送になると思えば警察は今よりきちんと捜査するようになる、ということは、「どうせ保護処分になるから捜査をいい加減にし、子どもの言い分をチェックしないまま家裁に証拠として送ってしまう(その結果、家裁の処分が甘くなる)」という趣旨である。だが警察はもともと加害者に甘いわけでも被害者に同情するわけでもなく、自分の描いたストーリーに合わせて捜査権力を利用して供述を強制し証拠を収集(捏造)するのであって、このことは草加事件のような多数の冤罪事件や牛久事件(被害者は岡崎参考人)から明らかである。

 そもそも「事実認定があいまい」という場合、「裁判所の判断があいまい」ということと「被害者にとって分からない」ということを区別する必要がある。裁判所の判断にとって捜査の適正(その結果としての証拠の適正)と裁判官の証拠のチェック姿勢がある限り、判断があいまいになることはない。被害者にとっては捜査や審判手続きの透明さの問題である。

 被害者にとっても加害者少年にとっても必要なことは、捜査が適正になされるよう、家裁送致前に検察官が警察捜査をきちんとチェックすることであり、また被害者代理人としての弁護士をつけることであろう。審判手続きでの記録閲覧や意見陳述などの被害者の関与(場合によっては審判出席)をすすめていくべきである。被害者保護を理由に逆送をすすめることは、現行法のもとにおける警察と検察の怠慢を正当化するものである。

10 まとめ

 厳罰化の根拠が破綻した現在、「世論」の動向が政党に影響を及ぼしているように見える。共産党や社民党は冷静な判断を堅持したのに対して、公明党さらには民主党は選挙への影響をおそれたようである。しかし「世論」も単純ではない。その求めているものは、厳罰化というよりは、被害者保護をすすめることであり、加害少年が行為の結果に直面して反省し真に立ち直ることである(10月発表の世論調査会の調査結果)。これからも国会でのきちんとした審議が続くことよって、さらに変化するだろう。

 急ぐべきは改正法案中の被害者配慮規定であり、この春の国会に提出された被害者基本法案(民主党)である。改正法案中その余の部分は、もっと時間をかけて慎重のうえにも慎重に審議すべきではないだろうか。


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