宮澤浩一氏(中央大学教授・日本被害者学会理事長) 「少年は、原則として、少年院の処遇を受けるべきである。・・・少年の多くは、少年院内で立ち直りのきっかけをつかんでいるが、社会復帰後の「受け容れ」の態勢が不十分なため、再非行を犯すのである。しかし、大多数の少年は立派に更生している。全体から見れば、比較的少数の「失敗例」をあげつらって「少年院の教育は効果がない」と決めつける者は、科学的な論拠を示すべきである。」 ただし、少年法にも手直しの必要はある。1.軽微事件については、警察が加害者と被害者の間の和解(特に損害賠償の成立)に務め、警察限りの処理をすることができるようにする。2.加害者報道についての61条について、凶悪事件の被疑少年に自傷他害のおそれがある場合は、家裁の判断で、写真などを公開できるようにする。 また少年事件の被害者、特に被害者死亡の場合の遺族に対する配慮を早急に実現すべきである。 「犯罪・少年非行に手をやいたアメリカでは、「法と秩序」の確立を強調して刑事法制を改め、社会統制の手段として「厳しい刑罰」を用い、その結果「刑務所」は過剰収容の状態となっている。犯罪や非行が「多発」しているとはいえ、わが国の社会状況は欧米と比べて深刻ではない。インフォーマルな社会統制が、まだ機能しているからである。それらの国と比べると、日本の少年法制は「少年の保護・教育に徹すること」を可能にする環境にある。少年法の根幹に触れるような抜本的な法改正は現時点ではすべきでないのではなかろうか。21世紀を担う「青少年」に重大な関わりのある「少年法改正」を手がける「立法者」は、少年非行と矯正処遇の実情を十分に踏まえた検討を行うべきであることを肝に銘じて欲しい。」 (「罪と罰」2000年8月号「少年法改正論議に寄せて」より抜粋と要約) 堀田力氏(「さわやか福祉推進センター」理事長・元法務省官房長) 「少年の問題でもうひとつ、いま気になっているのが、与党が議論している少年法の改正案ですね(刑事処分の対象年齢を現在の16才から14才に引き下げる)。何か、「奉仕活動を義務化せよ」という議論と根底でつながっているような感じがするんですけど、いずれ少年を強制とムチでもってコントロールしようという発想が基本にあるよな感じを受けますね。 厳罰化というのは自分の行為により重い責任をとらせるということだと思いますが、重い責任を課するならそれに見合うような、自由と権利を与えなければならないと思います。ところが、現在は自由と権利を与えず、いろんなルールで縛りつけて、子どもたちの生きる意欲を奪っておきながら、かれらがたまりかねて罪を犯すと今度は厳罰に処するというのは、少年の人間性を認めていない発想だと思います。 重い責任をとらせるなら少年にもっと権利を与えるべきです。例えば、18才から投票権を与えるとか、中学や高校でも科目を自由に選択できるとか、アルバイトをしたければ自由にできるようにするとか。そういうふうに本人が自由に生きられる社会になっていれば、その自由と権利を濫用して、ルールを犯した人は厳罰に処してもいいですよね。(中略)。 少年の厳罰化論の背景には、『17歳の犯罪』など特異な少年の凶悪犯罪が目立っていることがあると思いますが、少年の犯罪自体は私が検事をしていたころに比べると、実際に減っているのです。ただし、以前とは違うタイプの少年の犯罪が目立っていりことは事実です。それは、勉強もできて、世間からもいい子と見られていた子が、ある日、殺人を犯すような事件です。それは、自分の気持ちを押し殺し続けて、自分の世界に閉じこもっていた少年たちの犯罪です。結局、それは、自分を生かせない。周りの期待にあわせて自分を殺してきたけど、それを続けられなくなって、逃げてしまう。閉じこもったり引きこもったりするのですが、それが最後には爆発してしまうわけです。 (「講座」2000年11月号「『強制』と『厳罰』に頼るな」より抜粋) 宗田理氏(作家・「ぼくらのの七日間戦争」などの作者) 「少年の凶悪犯罪が続出するのは、情報と消費の波に子どもをさらし続けた大人の責任」と語っている。 (ナイフ事件を題材にした小説「13歳の黙示録」講談社) 藤正健氏(フジ社会病理研究所主宰・少年院長を歴任) 戦後の少年院の歴史の中で、刑罰的な取り扱いを克服し、少年が人間であることを考えさせる処遇のあり方をつくりあげてきた。最近また後戻りして刑罰的な少年法に変えていくような空気があるのが心配で、年齢引き下げには疑問がある。 (日弁連2000年9月26日シンポジウムでの発言より一部要約) 吉田研一郎氏(東京保護観察所観察第3課長) 「近年、少年による凶悪犯罪が相次いだことなどがら少年法のあり方が問われ、厳罰化、あるいは少年法の適用年齢の引き下げ等の必要性が議論されている。そうした議論の中で必要なのは、印象や推測に惑わされるのではなく、少年非行が実際に変容(特に凶悪化)しているのか(いないのか)、保護処分より刑罰の方が効果がある場合があるとすればどのような少年にどのような状況で適用した場合か、といったことについて実証的なデータを積み重ねていくことであろう。」 (「罪と罰」2000年5月号「第51回アメリカ犯罪学会に参加して」より抜粋) 井垣康弘氏(神戸家庭裁判所判事) (被害者参加など審判方式を工夫し、少年院での教育を選択して、少年も更生の決意をしたとしても)「厳罰化方向での法改正により、検察官から『原則逆送』の法令に違反するとして抗告受理の申立がなされ、破棄差し戻しされたら、少年担当の裁判官や調査官は落ち込む。少年も大ショックを受けるだろう。少年事件担当裁判官は、やがて原則逆送のケースについては、調査命令を出さず、捜査記録を読んだだけで逆送を決意し、その言い渡しをする運用になると考えられる。貴重な臨床ケースを奪われた調査官の実務能力はやせ細り、間もなく家庭裁判所の信頼は低下していくとともに、次代を担う少年たちに対するわが国の教育力も低下し、世界一安全な国から犯罪大国へ向かって確実に歩み始めるだろう。厳罰化方向での少年法改正には到底賛成できない。」 (法学セミナー2000年11月号「裁判所の窓からみる少年法の課題と改革」より抜粋) 守屋克彦氏(東京経済大学教授・元裁判官) 刑罰適用年齢が16歳とされたことの歴史的沿革やその後の運用について妥当有効であったことを述べられたうえで、「14歳以上を一律に刑罰適用年齢とすることは、旧少年法よりも後退することであり、年少者に対する自由の拘束の弊害をできるだけ回避するという方向に向かってきていた子どもの権利条約など国際的な文化の流れをもおしとどめることを意味することになる。従来から有効に機能してきていた制度を、数少ない例外に対する対策を講じるのではなく、全部否定することにしてしまって良いのかという疑問が生じることになる。」刑事訴訟の当事者として考えた場合でも「年少の少年に、自己の刑事責任が確定される裁判の場において、その手続の意味するところを正確に理解し、法律の趣旨に趣旨に沿った活動をすることを十分に期待できるであろうか。たとえ弁護人の力を借りたとしても、専門的な法律用語や法廷用語が飛び交い、しかも公開によって衆人監視の状態にある中で、少年が主体的に手続に参加し、自己の権利主張を十分に行うことができるかどうか不安が残る。」 刑罰連用年齢の引き下げについて多くの問題があるにもかかわらず「法制審議会に諮問することもなく、政治的な問題として強行しようとする法改正の動きについては、性急で遺憾と言うほかはない。少年法の改正については、家庭裁判所の調査官や保護・矯正の人々など、日頃から実際の指導に当たり、国際的にも高い評価を受けてきた従来の少年非行対策を担ってきた人々の意見を容れ、時代の非行に適切に対処する方策を慎重に論議することが、強く望まれる。」 (法と民主主義2000年10月号「少年法改正と年齢問題」より抜粋と要約) 萩原恵三氏(元少年鑑別所長、元少年院長) 少年たちが重大で凶悪な非行を起こすと、短兵急に厳罰をもって臨むべしといった主張がなされがちですが、我々が少年法の示す精神を支持する限り、厳罰化に組みできません。結果としての非行行動は重大・凶悪であるとしても、その行為の主体である少年たちは千差万別であり、その行動を引き起こした動機や状況は決して同一ではなく、何よりも、その更生・改善のために採られる方法手段は一人ひとりの少年によって異なってくるでしょう。 そういった点を無視して、一律に厳しく罰すれば良いという立場は、人格主義、個別主義、科学主義、教育主義等の、少年法が規定し、現在まで少年非行および非行少年に対して我々が立脚してきた基本的立場に反するのです。厳罰化をいうのであるならば、それが、少年の健全育成、更生改善にとって最善の方法手段であることを科学的に明示して、はじめて説得力をもつのではないかと思います。 (大日本図書00年3月「現代の少年非行」153ページ抜粋)
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