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少年審判規則

団藤重光氏講演会
                                 日弁連新聞(302号)より全文掲載
99年2月16日、東京大学名誉教授・元最高裁判所裁判官の団藤重光氏の講演会が弁護士会館で開かれた。
 当日は、市民、研究者、学生、弁護士など約600人が参加し、立ち見がでるほどであった。

現行少年法との関わり
少年法には戦前から興味を持っていた。現行法制定の作業には、刑事訴訟法改正に携わっていたので関与していないが、自分も、裁判官、調査官と意見の交換を行い、積極的に少年院や、鑑別所を訪れたりした。制定当時は、裁判官も情熱に燃え、熱病にかかったようであった。そうした意味では少年法は特別の関わりを持っていた。
その後、森田宗一氏と「ポケット注釈少年法」を著し、その際には同氏の紹介で補導委託先なども訪問した。
その後、最高裁判所裁判官時代には、流山中央高校事件で補足意見を書いた。
前回の改正の議論の際には、法制審議会少年法部会において反対の立場に立った。今回の改正の動きは、そのころからの一連の流れであり、このままでよいのかという思いで講演を引き受けた。

少年が立派な成人に成育する権利が最重要の権利
少年審判を扱う家庭裁判所には、少年を一人前にするという社会的機能がある。19世紀末にアメリカでこの理念に基づき少年裁判所が生まれた。
しかし、1960年代終わりにアメリカ連邦裁判所でケント事件判決、ゴールト事件判決とが出され、デュー・プロセス機能が持ちだされた。確かに、デュー・プロセスを持ち出すこと自体は正しいが、その際に社会的機能を見失ってはならない。国親思想を否定することは行き過ぎである。デュー・プロセスは当事者の権利のはずである。そして少年事件における当事者とは、少年自身であり、少年にとって一番大事な権利は、少年が立派な成人に成育する権利であるはずである。とするなら、その一番大事な権利が保護されないデュー・プロセスでは意味がない。
アメリカでは、「法と秩序」が強調され、右転回の時期を迎えたが、結局少年非行は減少していない。アメリカの少年審判については、「家裁月報」に猪瀬慎一郎氏と森田明氏がイリノイ州の例を紹介している。この点は死刑廃止問題ともかかわり、法と秩序の思想が後ろに認められる。

凶悪化は本当か
改正の根拠として少年非行の凶悪化が指摘されるが、犯罪白書によれば殺人や強盗事件は減少している。強盗は恐喝と境界が曖昧で、これのみをとらえて凶悪化というのは困難である。
また、神戸の事件は野口善国弁護士の「それでも少年を罰しますか」を読むと実体がよくわかり、決して凶悪な少年という感じではない。異常だが凶悪とはいえないのではないか。

合議制の問題点
今回の改正の個々の問題には触れないが、合議制は少年審判の生命を奪うものである。少年審判において重要なのは裁判官が少年と相対で向きあうことで、裁判官の人格と少年の人格とが触れ合うことに意味があると考える。合議制で少年が心を開くはずがない。
また、検察官の関与についても、検察官はこのような席につけばどうしても追及的になり、少年審判の生命を殺すことになってしまう。

人間的視点・高い見識の必要性

少年法の改正という問題は、次の世紀を見通して大きな計画に基づいて、法律家以外の人の意見も聞いて決めていかねばならない。性急かつ近視眼的な改正には反対である。
最高裁裁判官時代にも積極的に家庭裁判所を訪問したが、十分な経験、技量を有した裁判官が減ってきており、調査官も行政官的になってきており、家庭裁判所は手足を奪われ、弱体化している。このような中で、合議制をとると、人的な要素が弱くなってしまう。
人間的なものを見失った改正ではいけない。高い見識を持った人であればどうするかという視点を忘れてはならない。



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