「アメリカ少年法の厳罰化に抑止効果はある」は誤り
(改訂版)
立命館大学法学部教授
葛野尋之(くずの・ひろゆき)
1 アメリカ少年法は、1970年代末から、少年であっても殺人など重大犯罪については、刑事裁判により厳しい刑罰を科すことを拡大するなど、厳罰化を進めてきました。このような少年法の厳罰化は、その標的とした重大犯罪を効果的に抑止する効果を有しない、ということが、さまざまな研究を通じて、現在までに明らかにされています。
ところが、現在、日本において、少年法改正をめぐって、アメリカ少年法の厳罰化は実際に抑止効果を発揮した、という見方が示されることがあります。たしかに、「より厳しい刑罰はより強い犯罪抑止効果を有する」という信念が、人々のあいだに広く共有されています。この信念に適合するので、少年法の厳罰化には抑止効果があるという見方は広く受け入れられやすいかもしれません。しかし、このような見方は誤りです。
2 いくつもの調査研究の結論が、一致して、このような見方を否定しています。
アメリカにおいては、いくつかの厳罰立法について、その標的とした重大犯罪についての抑止効果を確認するために、洗練された統計学的手法を用いた研究が行われてきました。1978年のニュー・ヨーク州少年犯罪者法について、干渉時系列分析という統計学的手法を用いて、その犯罪抑止効果を確認したシンガーとマックドウォールの研究(Singer
& McDowall, Criminalizing Delinquency:
The Deterrent Effects of the New York Juvenile
Offender Law, 22 Law and Society Review 521
[1988])などが、その代表例です。
これらの研究は、厳罰立法ができたこと以外の、犯罪の増減に影響を与えそうな要因をコントロールしたうえで、すなわち錯乱要因を除外したうえで、厳罰立法が犯罪の増減に影響を与えたかどうか、確認したものです。犯罪の増減は、厳罰立法以外の要因に左右されることも考えられるので、その影響を除外しなければ、厳罰立法が抑止効果を有したかどうか、確認できないわけです。その結果、これらの研究は、一致して、少年の重大犯罪を標的とした厳罰立法が、これらの犯罪を抑止する効果を有しなかった、という結論を出しています。
3 抑止効果があるという見方は、アメリカの警察統計において、殺人についての少年(10歳以上18歳未満)の被逮捕者の人口比率が、1993年をピークに1994年以降減少を続けていることを、根拠とすることが多いように思われます(なお、「指標犯罪」とされている暴力犯罪〔殺人、強盗、強姦、加重暴行〕全体についても1994年をピークに1995年以降減少の傾向にあります)。この時期の減少は少年法の厳罰化の効果に違いない、と考えるわけです。なお、少年に関する主要な警察統計については、司法省の少年司法非行防止局のインターネット・ホームページ(http://ojjdp.ncjrs.org/ojstatbb/index.html)で容易にアクセスすることができます。
しかし、上述のように、犯罪の増減は、少年法の厳罰化ということ以外のさまざまな要因によって決定されます。したがって、厳罰化が進行していた時期に犯罪が減少傾向を示したということをもって、厳罰化に抑止効果があると結論することは、短絡的に過ぎるといわざるをえません。上述のように、いくつもの調査研究が、錯乱要因を除外したうえで、厳罰立法が抑止効果を有していたとはいえない、との所見を示しています。たんに警察統計上の数値において犯罪減少の傾向があるからといって、これらの調査研究の所見が覆されないことは、当然です。
また、警察統計上の数値の増減だけを見ても、1980年代半ば頃から1990年代半ばのピークに至るまで、暴力犯罪全体についても1.8倍程度、殺人については2.5倍程度も増加しています。上述の減少傾向は、このような顕著な増加のあとに生じました。アメリカ少年法の厳罰化は、1970年代末から始まり、1980年代、90年代を通じて進められました。1990年代半ば以降の減少の時期のみならず、それに先立つ増加の時期も、同じく、少年法の厳罰化が進められていた時期に重なるのです。
1994年代以降における殺人の被逮捕者数の減少をもって、厳罰化の抑止効果のあらわれと見るならば、1980年代半ばからの10年は厳罰化に効果はなかったけれども、1994年からは一転して、抑止効果を発揮し始めた、ということになって、あまりに不合理です。厳罰化が進行してから15年も経って急に、犯罪抑止効果が発揮されたことを、合理的に説明することは不可能でしょう。
4 厳罰化の抑止効果が発揮されたわけではないにせよ、現在までのところ、1994年以降、殺人についての少年の被逮捕者が減少している理由は、明らかにはされていません。ただし、減少の時期に先立つ顕著な増加の理由から、それを逆に考えることで、減少の理由を推測することができるように思います。
警察統計上の被逮捕者数を見ると、一九八〇年代半ばから九〇年代半ばにかけて、少年の殺人は、人口比率で2.5倍程度にまで増えています。この間、成人の殺人は安定し、少年の財産犯も増加していません。少年の殺人の増加はすべて銃によるもので、少年の銃規制法違反も激増しました。同じ時期、少年の麻薬犯罪も、とくにマイノリティのあいだに激増しました。
ある権威ある研究は、少年の殺人が増加したことの構図を、次のように提示しています。すなわち、麻薬の蔓延により、犯罪組織が拡大して大都市のスラムに生活するマイノリティの少年を末端の麻薬売人として組み込み、これらの少年が自己防衛のため銃を所持し、それがその周辺にも広がった結果、麻薬取引のトラブルなどの諍いが銃の使用により殺人や重大傷害に発展する、という構図です。そして、この背景には、政治経済的・文化的衰退による社会的混乱や矛盾のなかで、家庭や地域社会は崩壊し、少年たち、とくにその苛酷な影響が集中する大都市スラムのマイノリティ少年が、将来への希望や社会への理想を失ってしまった、というアメリカ社会の病理があります。
このように、少年の殺人の増加に、構造的な社会的要因が複雑に作用していることからすると、厳罰立法が抑止効果を有しなかったことも、当然といえます。厳罰立法の抑止効果に期待する立場は、少年の殺人の増加は少年に対する処分の甘さが主たる要因であるから、厳罰化によってこれを抑え込むことができる、と考えます。しかし、このような考えが的外れであることは、明らかです。
また、少年の殺人の増加について、上述したような構図があったとすれば、1994年以降の減少には、銃の規制が一定の成果を収めたことや、さらには、経済状態が上向きとなるなかで、社会が一定の安定を見せ、また、若年失業率の低下に示されるように、少年たちが社会参加する機会も増加し、将来への失望感がいくらか緩和したことなどが関連している、と考えられるでしょう。
5 アメリカの「刑法犯罪(詐欺などを除く)検挙人員の変化」において、少年については、その「実人数」が1970年代末から80年代半ばにかけて顕著に減少し、80年代半ば以降は若干の増加傾向を見せながらも比較的安定していることを示すグラフを参照しながら、「米国で、80年代以降少年犯罪が沈静化した事実も重要である。『米国では厳罰化政策は失敗した』ともとれる論述が見られるが、少なくとも、少年厳罰化により少年犯罪の全体数が抑え込まれた事実は否定し得ない」とする見解があります(前田雅英「少年凶悪犯罪、深刻さ認識を」日本経済新聞2000年9月9日)。
しかし、このような見解には疑問があります。
厳罰化「により」少年犯罪の全体数が減少した、としていますが、この「により」という言葉が両者のあいだに原因・結果の関係があることを意味するのであれば、厳罰化がどのように少年犯罪の減少に寄与したのか、その因果の理論的説明が示されていません。この説明がない限り、たとえ厳罰化と少年犯罪の減少が同時期に存在していたとしても、疑似相関の可能性が残りますから、厳罰化という原因によって少年犯罪の減少という結果が生じた、と認めることはできません。「厳罰には抑止効果があるはず」という人々の信念があったとしても、当然ながら、それだけで説明とはなりません。
また、「刑法犯罪(詐欺などを除く)検挙人員」について、たしかに「実人数」においては、上述の動向が見られます。しかし、被逮捕者数の「実人数」は、人口の増減の影響をストレイトに受けますから、時系列的な犯罪の増減を確認する場合には、「人口比率」を指標とすることが多いのです。アメリカにおいても、このような場合には、人口比率を指標とすることが通常です。また、実際、先の見解が示された紙上論文においても、日本の殺人、強盗についての「少年検挙人員」の変化については、人口比率によるグラフが用いられています。そこで、アメリカにおける少年の被逮捕者総数の人口比率を見ると、1997年以降減少があるものの、1980年代初めから1996年までは増加傾向にあり、1980年から1998年のあいだに16%増加しているのです。日本の犯罪の増減を説明したときと同様に人口比率を指標とするならば、この見解は、アメリカの少年犯罪の減少というその前提を失うことになります。
また、アメリカの警察統計では、州ごとの犯罪の違いを考慮して、どのような州でも犯罪とされているような犯罪を「指標犯罪」に指定しています。この「指標犯罪」は、殺人、強盗、強姦、加重暴行の「暴力犯指標犯罪」と、侵入窃盗、自動車窃盗、単純窃盗、放火の「財産犯指標犯罪」とから成ります。たしかに、これらを合計した「指標犯罪」全体の被逮捕者について、1980年以降の人口比率をみると、1984年までは減少傾向、1994年までは増加傾向、それ以降1998年まではまた減少傾向が示されており(1997年から1998年の減少が1年で最大の変化であり〔前年比13%減少〕、暴力犯罪や殺人の顕著な増加、減少に比べると安定しています)、1980年と1998年とを比べると、減少、増加、減少の傾向を辿ったとはいえ、16%減少しています。とはいえ、当然のことながら、人口比率でみたとき、「指標犯罪」全体のうち大部分を占めているのは「財産犯指標犯罪」です。1980年から1998年のあいだに、「財産犯指標犯罪」が占める割合は、最高で89%、最低でも83%にのぼっています。ぁw)ナすから、「指標犯罪」全体の増減は、「財産犯指標犯罪」の増減に夜って、大きく左右されます。「財産犯指標犯罪」が経れば「指標犯罪」全体も減り、増えれば増える、という関係です。事実、「指標犯罪」全体、「財産犯指標犯罪」、を並べると、「暴力犯指標犯罪」は先に述べたように顕著な増加のあと減少傾向を見せているにもかかわらず、「指標犯罪」全体は、「財産犯指標犯罪」の比較的なだらかな減少、増加、減少の傾向と一致して変化していることが分かります。したがって、1980年と1998年を比べたとき、「指標犯罪」全体が人口比においても減少したということは可能ですが、それはあくまでも、「財産犯指標犯罪」の減少の結果であると考えなければなりません。「暴力犯指標犯罪」は、1980年代半ばから1990年代半ばにかけて顕著に増加し、1995年以降減少している、ということを忘れてはなりません。「財産犯指標犯罪」の増減が、少年法の厳罰化に犯罪抑止効果があるかを確認する指標として相応しくないことは、次に述べるとおりです。
少年法の厳罰化という概念は多様なものですが、現在の日本の少年法改正との関係でとくに問題となるのは、重大犯罪への刑罰適用の拡大という意味の厳罰化です。アメリカの厳罰化も、これを最大の焦点としてきました。したがって、厳罰化の抑止効果を問題にする場合、「少年犯罪の全体数」を指標とするのではなく、厳罰化の主たる標的となった重大犯罪ないし暴力犯罪(殺人、強盗、強姦、加重暴行)を指標とするべきでしょう。同じように考えて、「財産犯指標犯罪」も指標として相応しくありません。さらに、強姦には「暗数」、すなわち実際に発生しても公式に認知されず、警察統計などの公式統計に計上されない数が多く、強盗についても、その限界に微妙さがあることから、警察の取締の仕方やそれに関する政策のいかんが統計上の数値に大きな影響を与えうる可能性があることを考えるならば、これらを除外して、殺人を指標とすべきでしょう。いかなる厳罰立法も殺人を対象としないことはあり得ないでしょうから、殺人を指標とすることが、厳罰化の抑止効果を確認するうえで、最も適しているように思います。
6 以上、述べてきたことから明らかなように、アメリカ少年法の厳罰化が重大犯罪の抑止効果を有していた、との見方は誤りです。
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