参議院法務委員会参考人意見陳述要旨

少年事件被害者と少年との対話を

弁護士 山田由起子


1.はじめに

 私は、20年以上を弁護士として少年事件付添人をしてきた経験、最近増えてきた被害者側代理人としての経験、アメリカのロースクールで少年事件実務を学び厳罰化刑事罰化された少年司法を目の当たりにしてきた経験などを踏まえ、以下のとおり少年法改正案について意見を述べる。

2.「規範意識」と最近の少年非行の関係

 本少年法改正案の提案者は、少年に「規範意識を養う必要があること」を提案理由のひとつとする。それでは、規範意識と現在の少年非行は、どのような関係にあるのだろうか。

(1)いきなり型非行の原因

 今回の改正法案が出された背景には、メディアに大きく取り上げられた少年による殺人事件、それも『いきなり型』と呼ばれるような殺人事件がある。私も、小さいころから「いい子だ、いい子だ」とをいわれてきた17才の少年が、ある日突然母親を包丁でめった刺しにして殺害してしまった事件を担当したことがある。

 この少年は、両親からも教師からも地域の人々からも、きちんと挨拶のできる礼儀正しいいい子、学級委員も生徒会副会長も務めたいい子と思われてきた。つまり、規範意識の高い少年と思われてきたのである。だれもが、あんないい子がどうしてと不思議がり、付添人である私にも、なぜこのような少年がいきなり殺人を犯してしまったのか理解できなかった。ところが、少年鑑別所の鑑別結果がその答えを鋭く指摘してくれた。鑑別結果には、こう書かれていたのである。

 「少年は、幼いころから周囲にいい子と思われようとして、常に自分を周囲に合わせてきた。学級委員になったのも生徒会副会長になったのも、教師や親の意向に自分を合わせ、いい子と思われたかったからで、自分から選びとったことではなかった。常に周りの意向を気にするあまり、自分が本当は何をしたいのかと自分の内面を見つけることがなく、したがって、自己と他者の対立というものも深く自覚しないままに成長してきた。思春期に至り、いつまでも他人に合わせてばかりではいられない自我が成長してきた。にもかかわらず、少年には他者、ことに母親との対立・葛藤を、意見の違いを前提として乗り越える問題解決能力が養われず、ひたすら葛藤を避けることしかできなかった。その結果、無理なひずみが、ある日突然、無視できないほどに大きなものとなり、少年はパニックに陥ったように、本件殺人を犯すに至ってしまったのである。」

 この鑑別結果を読んで、私はぞっとした。ここに書かれていることは、この少年のみならず、多くの日本の子どもたちが抱えている問題だからである。この鑑別結果を受けて、家庭裁判所は以下のように決定した。

 「本件非行に至る原因として、少年の対人関係の持ち方や自主性・主体性の欠如に起因する問題解決能力の低さなどの性格上の問題点を指摘することができ、これらの問題点を改善して社会適応力を高めさせることが、少年にとって必要不可欠と考えられる。したがって、少年に対しては、刑事処分をもって臨むよりも、保護処分に付し、今後の健全育成にするのが相当である。」

 いきなり型非行の少年たちは、規範意識がないから非行を犯すのではなく、大人が作った規範に自分を合わせようとしすぎるあまり、自主性・主体性を失い、あるとき突然亀裂が生じて事件を起こすのである。

 先日、不登校の子どもたちとともに少年法考える会があった。今は不登校を乗り越えて前向きに生活している少年が行った。

 「佐賀のバスジャックの少年が精神病院に入院させられたとき、両親に『覚えてろよ』と言ったそうだが、自分はその気持ちがよくわかる。僕が学校に行けなくなったとき、周りの大人は、みな『おかしい』『病気じゃないか』といって、僕をカウンセリングや病院に連れて行こうとした。今だから言えるけど、僕はただ僕色でいたかっただけなんだ。なのに大人たちは、僕は僕色でいることを許さない。いつも勝手に大人色に染めようとする。少年法もそうだ。ぼくたち子どもの声は聞こうとせず、大人だけで勝手に決めて大人色に染めようとしている。」と。

 私は、このような日本の子どもたちにさらに厳しい規範を示すことは、何ら非行防止に役立たないどころか、さらに子どもたちの閉塞感を強め、いきなり型非行を増やす恐れさえあると考える。

(2)従来型非行の原因

 次に私は、万引き、バイク窃盗などから、やがては少年非行グループを形成して恐喝・路上強盗などをするようになる典型的な少年非行を一応従来型非行少年と呼んで、彼らの背景にあるものについて述べたい。

 彼らに規範意識が欠けていること、規範意識を養う必要があることは、私もそのとおりだと思う。しかし、私は、提案者が主張するように、「悪いことをすれば重い処罰を受けることを示すことで、彼らの規範意識は高まる」とは思わない。

 なぜなら、彼らの規範意識の欠如は、1つには、彼らの被害者体験と暴力肯定的な環境に、2つ目は規範が単に上から押しつけられたものであって、彼らの内面から発したものではないところに、その原因があるからだ。

 従来型の非行少年の多くは、過去に親や教師からの体罰、部活動での先輩や顧問からの暴力、いじめ、地域の中でのいわゆるカツアゲなどの被害にあっている(2000.4.28読売新聞、「補導・逮捕された少年の8割がいじめ・犯罪被害」)。しかし、これらの被害にあったときに、彼らはいたわられたり救済されたりするのでなく、お前が悪かったのだから殴られても仕方がない、相手は教師なのだから、相手は先輩なのだから仕方がないと思わされてきた。そのために、恐喝や路上強盗などで被害者に恐ろしい思いをさせたり怪我をさせたりしても、自分だってそれくらいのことはされてきたという気持ちから、真に被害者の心の痛みを理解するに至らない面がある。

 彼らも、学校や家庭で、厳しい規範を教えられてはいる。しかし、それは「きまりはきまり」といった風に、上から彼らを縛ろうとするものであって、彼らの内面に根づくものにはなっていない。規範、ルールというものは、本来自分を大切に思う気持ちがあって、それと同じ位他人も大切だと思えてはじめて守れるもの、つまり他人への思いやりによって根づくものだと思う。自分が大切にされこなかった子どもたちに、他人を大切にするための規範を守れといっても、それは無理な話なのである(アメリカでの研究によれば、殺人犯53人のグループ中85%が幼いころに激しい体罰を経験しており、重罪犯人112名のグループの85%は、施設送致されていない成人男性376人からなる対象郡と比べて相当多くの虐待的な取り扱いを受けていた。(Zingraf and Belyea,1986)笠松刑務所に覚醒剤乱用などで入手した女性受刑者の約7割が子ども時代に性的虐待を受けていた(1998.10.26毎日新聞夕刊)。)。

 盲導犬は、けして生まれたときから厳しいしつけや訓練を受けるのではなく、1年間は里親のもとで徹底的にかわいがられるという。そうすることで人間に対する信頼感を養い、その信頼感が基盤となって、その後の厳しい訓練にも耐え、あの忍耐強く人にやさしい盲導犬に成長するのだ。人間も同じことである。幼いころから、お前はかけがえのない大切な存在なんだと感じさせてもらえてこそ、他人を大切にし、真の意味での規範意識がもてる子どもが育つのである。

(3)厳罰化・刑事罰化で規範意識が育つか

 凶悪な犯罪を犯せば重い処罰を受けることを少年に知らせるという提案者の主張は、これを学校に例えると、厳しい校則を決め、これに違反した子どもは退学処分となることをあらかじめ通告するのに似ている。しかし、厳しい校則が子どもたちの規範意識を高めることに繋がったであろうか。むしろ、学校の閉塞感が年間13万人もの不登校児を生み、年間11万人もの高校中途退学者を生んでいるのが実情であり、文部省も1988年以来厳しすぎる校則の見直しを再三指示しているのが実情である。

 ニューヨークでは、16才以上の少年と13才から15才までの一定の重罪を犯した少年が成人の刑事裁判所で裁かれるという法律が1977年と1978年に制定された。しかし、このような厳罰化・刑事罰化法制の影で、実際に少年たちと接する草の根の人々は、この法律の弊害と闘い続けている。例えば、ニューヨーク刑事裁判所少年部の裁判官は、少年を刑務所に送っても更生には繋がらないと主張し、更生の可能性のある少年を選び出しては、ケーシーズ(Center for Alternative Sentencing and Employment Services)というNGOに委託し、社会内処遇での教育を受けさせており、州や市もこのNGOの資金全額を負担しているのである。日本は、アメリカの轍を踏むべきではない。

3.被害者の権利と少年の責任

 ガンをつけられたかたと暴走族風の相手をナイフで刺してしまった少年の事件を担当したことがある。家庭裁判所の審判で、幸いにも一命を取りとめた被害者の証人尋問を行った。被害者は、暴走族どころかまじめな学生で、事実をありのままに淡々と証言し、少年を非難する様子も見せなかった。証言を黙って聞いていた少年の顔つきが見る見る変わり、証人が立ち去ろうとしたとき、少年は立ち上がって深々と頭を下げた。

 この事件では、たまたま事実関係を争ったために、このような少年と被害者との出会いが実現したが、日本では通常、非行少年の逮捕やその後の司法手続よって加害少年と被害者は隔絶され、直接対面することはほとんどない。

 これに対して、近年世界各国では、被害者と加害者が直接向き合って対話するプログラムが急速に広まっている(ニュージーランドで1989年に法制化、ヨーロッパはでは900以上、アメリカで300以上のプログラムが実施されている)。これは、犯罪という地域社会に起きたマイナスの出来事を、被害者加害者を含む地域の回復力で自ら修復していこうという修復的司法と呼ばれる考え方に基づくものである。

 もともと犯罪は、地域社会の問題だった。ところが近代国家が確立し社会の秩序維持が国家の役割となってから、犯罪は国家に対する犯罪となり、刑事司法は国がいわば独占的に犯罪者を処罰する手続になってしまった。法廷を傍聴した被害者から「被告人は、私に背を向け、裁判官に謝った」という声が聞かれるのも、その結果である。修復的司法は、もう一度犯罪を被害者と加害者と地域の人間的な関係の中でとらえ直そうとする世界的な潮流といえる。

 具体的には、一定の研修を受けた地域のボランティア市民が、家庭裁判所・保護観察所・少年院などの委託を受け、事前に被害者と少年に会って十分彼らの話を聞きプログラムの説明をしたうえで、双方が希望し事案と時期が適切と判断される場合に、被害者と少年が対面する。少年院の中で対面する場合もある。ボランティアが司会役となり、被害者は事件によって自分がどんなに傷ついたか、その後もどんなに事件の後遺症に悩まされているかなどを、少年は自分がどうして事件を起こすに至ってしまったのか、そのことを今どう思っているのかなどを語る。少年が被害者と向き合い、自分には今まで見えなかった被害者から見た事件の重大性やその影響を直接自分の目と耳で受け止めるとき、心からの謝罪や自責の念が生まれてくる。被害者は、通常、加害者少年を凶暴な悪魔のように感じているものだが、その被害者が、実は気弱で学校や家庭で傷ついた末に非行を犯したというような少年の実像を知るとともに、少年から心からの謝罪を受けるとき、犯罪自体への憎しみは消えないまでも、少年の立ち直りが自分にとってもまた一つの救いになることを知るようになる。被害者と少年だけでなく、その家族や友人、学校の教師や隣人など、犯罪によって影響を受けた、あるいは被害者や加害者の支えようとする地域の人々が参加する場合もある。こうした話し合いを通じて、被害回復の方法や更生の道筋が考え出され、全員の同意が得られれば書面にするのである。

 今月はじめ、修復的司法の公演のため来日したミネソタ大学のマーク・アンブライト教授は、4カ国における少年犯罪被害者を対象とする被害者・加害者調停の大規模な調査研究をしている。その結果、被害者の90%が調停プロセスの結果に満足し、加害少年と対面した被害者は、そうでない通常の裁判プロセスを経た被害者よりも、司法システムの対応への満足度が高く、再被害への不安が少ないことが実証されている。また少年の更生面でも、調停を経て、被害者と対面した少年は、そうでない少年より32%も再犯率が低いことが実証されている。

 少年法改正案は、被害者の権利擁護のために少年を厳罰に処する必要があるという考え方に基づいている。しかし、被害者が真に求めているのは、少年が心の底から反省し、自分が犯した行為への責任を痛感し、直接被害者に対する償いを自発的に実行することである。国が、被害者と加害者を分断したまま、重い処罰を科しても、少年の内面にもたらす効果がなければ、被害者は救われない。

 殺人事件の遺族からは、加害者との関係修復など到底考えられないという声が上がるかもしれない。現時点では、それは無理からぬ意見である。なぜなら、日本の被害者のための手厚い支援制度がないからである。修復的司法実現のためには、その前提として、被害者に対するきめ細かい心のケアーや情報提供のできる支援者・支援制度がぜひとも必要である。しかし他方、現在の刑事司法の枠組みの中で、被害者遺族が法廷を傍聴しても刑事記録を読んでも、遺族として本当に知りたい「なぜ?どうして?」の答えはなかなか得られない。人は憎しみだけで生きられないという言葉もまた真実である。アメリカでは、長く苦しい年月の末に遺族が自ら望んで受刑中の加害者と刑務所内で対面するという実例もあり、殺人など重大犯罪でのプログラムの研究も進められている。

 修復的司法は、被害者の権利にとっても少年の健全育成にとっても有益かつ効果のある制度である。私は、被害者法制の整備と少年司法改革のためには、厳罰化より修復的司法をと強く訴え、意見陳述の結びとしたい。

以上

Home /論文 /すすめる会News / 催し情報 / 活動記録 / 図書  
その他スケジュールやご不明な点は請願署名をすすめる会までお問い合わせ下さい。
東日本事務局 TEL.03-5770-6164 FAX03-5770-6165 Eメール
siten@bh.mbn.or.jp