メディアと「青少年凶悪化」幻想


事実ゆがめる統計解釈
 事件の安易な一般化禁物


広田 照幸
東大助教授 (教育社会学)

 「青少年の凶悪化」がしきりに騒がれている。その議論をきっかけに、今の少年法のシステムは破綻しているから厳罰化で対処せねばならない、という見方が一部に出てきている。だが、ちょっとまってほしい。 

 戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと調べてみると、意外なことに他の先進諸国の傾向とは異なり、最近の青少年は昔に比べてはるかにおとなしくなっている。最近、年齢層別殺人率を十年ごとに算出した長谷川眞理子・早大教授が、青少年が「殺人」で検挙される割合は、戦後一貫して低下していることを指摘して反響を呼んだ(『WEDGE』五月号ほか)。私も統計を検討し直してみたが、殺人率の低下だけでなく、全体として、青少年は決して凶悪化しているわけではない、という結論に至った(『教育学年報 8』世織書房、十月刊行予定)。


 では、「青少年の凶悪化」という虚像はどこからくるのであろうか。ここでは、センセーショナルな報道に走るマスメディアの責任を二点指摘しておきたい。

 第一に、凶悪非行への関心を喚起しようとして警察庁などが発表する、部分的で短期的な数字や解釈を、メディアが無批判にたれ流しているという点である。

 たとえば、「凶悪非行の低年齢化」という見方には事実誤認が含まれている。発生率では、年少少年(十四、五歳)の層の凶悪化を示す、一貫した傾向は見られない。細かな増減はあるが、極めて低い水準で推移している。むしろ、中間少年(十六、七歳)や年長少年(十八、九歳)で検挙される者が大幅に減少してきた(特に年長少年)ために、低年齢の少年が目立つようになっただけである(グラフ参照)。

グラフ・10万人当たり検挙者
 同様のことは「粗暴犯のうち少年が占める割合が過去最高になった」という報道にも当てはまる。少年の粗暴犯の発生率は、三十数年前と比べると半減している。だが、成人(特に二十代)がそれ以上におとなしくなったため、見かけ上、少年の占める割合が上がったにすぎない。

 「死に至らしめる事件を起こした少年」がここ数年急増している、と報じられることもある。だが、増加分の大半は「傷害致死」で、多人数がかかわったとされ一網打尽になる者が増えているのである。1998年でいうと、82%が四人以上の「共犯」である。それゆえ被害者数が激増しているわけではない。私の推計では、被害死者数は依然として、60年代半ばの四分の一から五分の一にとどまっている。

 さらに、警察庁発表などの報道は、減少・沈静化しつつある罪種よりも、増加傾向にある罪種を強調しがちである。また、「昨年に比べて激増」「過去五年間で最悪」などと発表されるものは、その直前の時期までさかのぼってみると、やはり現在の方がはるかに減少していることがよくある。先日、警察庁が今年上半期の非行状況をまとめ、各紙とも、「凶悪化」という見出しでそれを伝えた(四日付朝刊)。だが、そこでも、たまたま殺人が極端に少なかった昨年の数字と比較されているなど、強引な解釈が目立った。

 要は、統計数値や解釈の妥当性に関するチェックが必要なのである。

 第二に、ごく例外的に起きる重大事件に対して、不必要なまでに微細に報道し、解釈しようとする、メディアのあり方が問題である。

 かつての報道は、事件の経緯をたどることに重きが置かれ、その背景や動機は簡潔な紋切り型の表現で片づけられていた。佐賀のバスジャック事件がもし数十年前に起きていたら、「内向的」で「学校嫌い」で「世間を怨んでいた」というふうに、簡単に片づけられたはずである。

 ところが近年は、ごくまれにしか起きない例外的な事件に対しても、青少年全体の病理を代表しているのでは、という視点から、細かな詮索や解釈がなされるようになった。その結果、「いつでも、どこでも、誰にでも」起きてしまうかのような錯覚が生まれている。しかも、他者には簡単にはわからない「心」の部分を「事件発生のカギ」とみなすようになったから、どんなに周辺情報を集めてみても、「解決」するわけがない。不安を募らせるだけである。また個々の事件がもらさず報道されることで、少年事件が格別増えたような印象をもたらしてもいる。

 希有な事件の報道では安易な一般化は慎むべきだし、事件と関連の薄い情報の氾濫は、単なる「覗き趣味」にこたえるものでしかない。

 最後に、現状の病理面にばかり注目する傾向が強いメディアが見落としがちな、重要なもう一つの点を指摘しておきたい。右で触れた、十代後半から二十代の青少年の凶悪犯や粗暴犯が減少してきたという事実が示すのは、現行少年法のもとでの保護システムが、それなりにうまく機能しているのではないか、ということである。

 科学警察研究所の調査などによれば、約九割の非行少年は、一、二度捕まったら非行をやめている。保護観察や少年院への送致など重い処分を受けた者もその後、大半は更生してきている。そうであるがゆえに、二十代の犯罪率が他の国に例のないほど低下したのである。

 少年法を改正して成人並みの処遇をおこなうことは、更生不可能な若年成人を大量につくり出す危険性をはらんでいる。犯罪者の大半は、執行猶予がついたり、実刑の場合でも数年後ないしは十数年後には出所してくる。少年たちに刑事罰を科しでも、この点は変わらない。

 70年代以降、厳罰化の方向に向かった米国では、自暴自棄になった大量の若者たちを生み出す結果になっている。「犯罪大国」の悪循環から生まれた理念や制度を、わが国がまねようとするのは愚行である。

 もちろん、被害者やその家族の応報感情に対応できる制度的措置など、考えねばならない点はたくさんある。しかし、性急な法改正で現在の保護主義的な枠組みの長所を失うのは、リスクが大きすぎる。同時に、過剰な不安をあおるメディアのあり方が反省されねばならないだろう。


朝日新聞(夕刊)2000.8.24より転載・著者及び朝日新聞社に無断で転載することを禁止する

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