「少年法案の問題性を訴える」
都立羽田高校教諭 梅澤秀監
今回の少年法改正に関して、2点意見(疑問点)があります。
第1は、この改正案の作成にあたって、実務家(少年院の教官、児童自立施設の職員、保護観察所の保護観察官や保護司、さらには教育関係者)はどの程度参加しているのかということです。
法律案の制定といえども、実務家の意見を聴かずに、すぐれた法案を作ることは困難であると考えます。特に、少年非行の問題は、教育学・社会学・心理学をベースに、総合的な判断の上に立って検討する必要があります。つまり、非行少年に関する法律である少年法改正するためには、各界の専門家の意見や実態について十分に話し合いながら、法案の作成にあたる必要があります。
第2に、非行少年に厳罰は有効か、という問題があります。
社会は、最近の少年事件を「凶悪化」と評し、非行を行った少年をどう扱うかという問題に対して、厳しい罰を与えようと考えています。犯罪を行った子どもに対して、厳しい処分を行うことによって、他の少年に同じような凶悪犯罪を起こさせないようにしようとも考えています(一般予防効果も期待している)。しかし、そこが本当の解決策と言るのでしょうか。
子どもに対して、大人が厳しい態度をとることは決して間違っているとは思いません。しかし、犯罪を行ったからその責任は子ども自身にあると考えることは、大人の勝手な発想と言わざるをえません。近年、教育を取り巻く問題の解決策の中に、「家庭や地域社会の教育力を高めよう」という考えがあります。つまり、乳幼児期及び学齢期の「しつけ」が不十分な子どもが増えているのは、家庭や地域社会の教育力が弱体化しているからであり、家庭や地域社会の教育力を強化しなければならない、という議論がなされています。そう考えるなら、子どもが犯罪を行った責任は、親(大人)にもあることになります。犯罪を行ったから、ただちにその少年を罪しようという発想は誤りです。むしろ、親(大人)の力不足が原因で、子どもをしつけることができなかったのですから、親(大人)が責任をとらなければならないと思います。
発展途上の少年に対しては、罰を与えて懲らしめるよりも、深い反省を迫り、今後二度と犯罪を繰り返さないという決意をすることのほうが、重要であると思います。
子どもに与える罰は、罰を受けた子どもがその意味を理解できなければ、効果がありません。身近な例ですが、喫煙行為をした生徒に対して、三日間の自宅待機を命じて、担任教員が突然家庭訪問をしてみると、タバコを吸いながら反省文を書いていたという、笑えない話あります。教員は、謹慎処分を科して反省を促そうと考えたのですが、当の生徒は公に休めてよかったくらいしか考えていなかったのでした。
子どもを育てるために、大人は手を抜いてはいけません。将来を支えるのは、現在の子どもであるからです。
毎日新聞の昨日(4/18)の夕刊と本日の朝刊に「少年法改正案の国会審議」に関する記事があり、驚いています。こんなに急に法改正をしてよいのかと、強い疑問を持ちました。