少年法改正を考えよう

毛利甚八

 今、日本はゆれています。
 経済も、政治も、思想も、宗教も、大人にとって唯一のよりどころだった会社(男共同体)も激震を体験しています。
 戦後五十年、日本は、アメリカ合衆国の有り余る経済力(とそれを基にした軍事力と政治力)に依存して生きてきました。アメリカさんに売るモノ(自動車やラジオや鉄鋼)をマジメに作れば幸せになれると信じて生きてきました。しかし、東西冷戦の崩壊後、アメリカに甘えん坊を決め込む生き方が効力を失い、大人たちもまた将来の不安におびえているのは、みなさんよく知っていることでしょう。
 さて、子供や少年が大人になるために、自分の目で世界を眺め、感じ、夢を見、傷つき、発言するというプロセスを、社会や教育の場で踏みにじってきたのは誰でしょう?それはアメリカに依存する生き方しかできないに日本の会社社会と政府、そのことに異議をはさまれることを嫌う権力そのものでした。
 1950年代と1960年代の、ふたつの少々方位の違う若者の反乱にこりた社会は、後から生まれてきた若い世代から考えることを奪いました。主に教育と警察がその役目をにないました。彼らは「制度」と呼ぶにも値しない「体質」によって、若い世代の大切な時間を荒廃させることに成功しました。
 また、その流れに対抗する原理を、政治運動以外の生活の中から作り上げることのできなかった市民もふがいなく、卑怯で楽天的な傍観者にしかなれませんでした。
 現在の流動的な社会の中で、少年たちをさらに不安にするのは、なにひとつ自分の手で生きる経験を積み上げたと思えない大人が「仕方なくしたがってきた」古ぼけた価値を、少年たちにゴリ押しして恥じないことです。
大人たちは自らの不安を覆い隠し、自らが荒波に飛び込まなくてよいように、荒野の中で耐えている大多数の少年たちを無視して、わずかな数にすぎない少年犯罪の「形の新奇さ」をあげつらい、「少年が悪くなっている」と叫ぶのです。誰かを罰する快感によって、ゆらぐことのない価値観という幻想を確かめたいものです。
 1999年現在の少年法改正論議は、大人たちの戦後の思想の衰弱が八つ当たり的に少年にむけられているものです。また、歴史的に言えば、戦後まもなくGHQの指導によって生まれた少年法と家庭裁判所制度が、戦前の特高体質を色濃く残した検察を遠去けたことに対する、検察の長い長い怨念を反映したものなのです。少年審判に警察官が立ち会うという主張は、新しい状況に即したものでなく、重大事件のたびに戦後一貫して検察が蒸し返してきた古い物語のひとつにすぎません。
 これから社会が変化して、新しい生き方を模索しなければならないとすれば、少年も大人も等しく不安と葛藤を生きるしかありません。グローバル化した資本主義と社会の均質化、匿名化に即して起こっている道徳の低下は少年のせいではなく、全員が取り組まねばならない問題です。
 教育とは何か、社会とは何か、罪と罰とは何か、個人が社会に生きるとは何か、家庭とは何か。
 少年法改正について徹底的に語り合う時に、私たちの未来がわずかながらその姿をあらわすように思うのです。