少年法の改正について

東京都立誠明学園 井上仁 児童自立支援施設職員


少年法で非行少年を無くせるか

 児童自立支援施設が、非行少年のための施設であることは、児童福祉法の改正があっても変わらないことです。

 ここに来る子どもたちは、非行問題を抱えてきますから、少年法とは紙一重の世界にいますし、家庭裁判所の審判でくる子どもたちも多くいます。

 その非行少年は、施設で大きく変わります。保護者や前の学校先生方が驚くような変化をします。これほど学校を嫌がっていた子どもたちが生き生きとクラブ活動や勉学にいそしむ姿を目にするのです。あれほど悪態をついてきた非行少年がです。

 ここの子どもたちをよく見ると、学校という枠からはじき出され、家庭という援護を失い、行くところがなくなり仲間を求めて繁華街や暴走族、いやらしい大人たちを相手に逃避の生活をしていることがよくわかります。

 一番最初につまずくのが「つまらない学校」です。今では、学校に行けなくなると行けくところがなくなる社会になっています。ますます難しくなる勉強、一度わからなくなるとだれも教えてくれない。まして、能力的に厳しい子どもは、否応なしにはじき出される現実があります。そして、この子どもたちを支える家庭がないと・・・

 厳罰で処しても、子どもたちは行くところがありません。心の病になっても、相談するところはありません。スクールカウンセラーを配置しても、学校が嫌いになった(行けなくなった)子どもたちには何の役にも立たないのです。

 地域で受け止めることはできません。勉強のできない子どもにはここでも相手にされません。スポーツも苦手です。だから・・・

 児童自立支援施設に来ると子どもたちは変わります。頑張ることを強いられていた子どもたちが、いつの間にか自分たちで頑張りだします。なぜでしょうか。

 環境が子どもたちを育てていくことがよくわかります。少年法は、犯罪の事実の解明を進め、厳罰化が犯罪の抑止力となると言っています。本当にそうでしょうか。いたいけな子どもを買う大人のいる社会の存在や、子どもを支えることをできない家庭、そして何よりも子どもたちが楽しむことのできない学校、これらの責任はだれが問うのでしょうか。

 虐待問題にしても同じです。子どもたちを支える大人へのケアをしない限り、子どもたちはの心は荒んでいきます。いじめを受けても、大人を信じられず5,000万円を貢いだ子ども。恐喝した子どもの責任があるにしても、知っていて何もしない大人の責任はどうなるのでしょうか。犯罪の解明は進みます。でも、決して子どもは救われないと思います。学校も警察も、事件の解明をすれば責任は終わります。子どもは少年院です。でも、いつか戻ってくる子どもの居場所は同じ環境が待っています。おかしくありませんか。