綾瀬母子強殺事件のB君のお話


司会;今日、B君の方からここへ来るって言ってくれたんですね。 
B君;はいそうです。栄枝先生からお話がありまして、迷ったんです、僕自身。今まで色々と出てたんですけど、どうしてもこういう場に慣れないので、半分は嫌なんです。でも、僕自身経験した中では、今の少年法でも、かなり言いづらいというのを、経験しているんで、ここで変な風に変えられたら、よけい言えないだろう、そしてまた冤罪が増えるだろうと思ったんで、それだけ話したいと思って、聞いてくれる人がいるから行ってみようと思って、出ることにしたんです。2.17市民集会
司会;ありがとうございました。さきほど、栄枝弁護士の方から警察でのものすごい取り調べの様子を伺いましたけど、あれは本当でしたか。

B君;本当にあったことです。僕自身は直接暴力をふるわれたっていうことはなかったんですけど、他の二人はけっこう、壁に頭をぶつけられたりとか、ずっと何かこうしていなさい、しろ、というような命令をされたりということで、色々とされたらしいです。僕は耳元で怒鳴られたり、机を定規でたたいたりということをされました。
司会;B君自身は逮捕された時は、やってないと言ったのですか?
B君;はい。最初は言っていました。最初はずっと言い続けていたんですけど、途中で、「お前の嘘は聞きたくないから、黙ってろ」ということで、僕の言うことを何一つ聞かず、僕に発言させなくなった。やっていませんという一言さえ言えないんです。その間にときどき、やったのかって向こう(警察官のこと)が聞いてくるから、僕は何も言えない。で、どうしたらこの場から逃げられるだろうという思いしかなかったので、言えばもう終るんじゃないかと思って、やりましたって言っちゃったんです。   
司会;何日目位だったか覚えています?
B君;初日にはやったって言ってしまいました。その前に、「他の二人がお前も一緒に三人でやったぞ」ということも言われているんです。そういうこともあったんで、「他の二人がやって僕も一緒にやったと言われると、僕一人がやってないなんていうことは通じないぞ」ということも言われたんで、そうなのかなと思っちゃうんです。
司会;やったと言ってしまった後、何をしゃべればいいと思いましたか。架空の事実をしゃべらなければいけないのではないかと。
B君;そうですね。やったって言った後、まさか色々とあんなに事細かに聞かれるということを知りませんでしたから。それで終ったと思っていたんです。聞かれた事実で、何答えていいか分からないんですね。ただ、向こうで最初、三人で計画を練っていたということになっていたんですけど、計画を練った場所はどこかと聞かれた。聞かれても答えられないんですよ。そうすると、当時C君というのが父子家庭で、父親が仕事に行ってますから、家に誰もいないんです。「そこで集まってやったんだろ、計画したんだろ」、て聞かれたので、「はい、そうです。その部屋で三人で計画しました」というふうに、向こうが全部決めちゃうんですよ。それに逆らうと、今度殴られるんじゃないかなという恐怖があったんで、「はい、そうです」と向こうの言うとおり全部答えていたら、もう調書が出来上がっていたというかたちですね。
司会;たしか、調書に犯行現場の図とかいう絵が書いてついていませんでしたか。
B君;はい、書きました。最初書いた時に、部屋割すら分からないんです。部屋割も分からずに四角く絵を書いて、線を引いていったら、「おまえ、部屋はいくつあったろ」と部屋数を言ってきて、部屋を区切ると、「この部屋にテレビがなかったか、テーブルはなかったか」と、どの場所に何があったか図面を指さしながら聞いてくるんで、「はい、ありました」と言って書いていくだけなんです。それでもう、僕の場合は図面が出来ました。
司会;今聞いていますと、笑いたくなるような状況なんですけれも、これが現実なんだということなんですね。今思い出しても恐ろしくなりますか。
B君;はい、今考えても恐ろしいですね。
司会;非常に詳細なストーリーが出来上がっていったわけでしょ。そういうのを言っていく過程においては、途中でそれは違うんだということを言う気力はないんですか。
B君;ないですね。もう、言ったら殴られるんじゃないかっていうばかりで、はやくこの場から逃げたい、それしかないんです。取調室にいるよりは、留置場にいた方が気が休まる、一人でいられるんで、誰からも追及されない、だからはやく留置場の方に行きたい、戻りたいんで。そういうことで、そこでやってませんなんて言っちゃったら戻れないんじゃないか、というのがあって、言えないんです。
司会;つまり、留置場から出たいんじゃなくて、取調室から出たいというだけで必死ということですか。
B君;そうですね。最初はもう、警察署から出たい、家に帰りたい、だったんですけど、取り調べが始まると、何が何でも取調室から出たい、とりあえずこの部屋から出られればいいという、それしかなかったですね。      
司会;どうしたら、取調室から出られるか、いつになったら警察から出られるかということについての先の見通しですね、それについては全くなかったのですか。
B君;全然ないですね。何もそういう意味では聞かされてないんで、いつまでこうしていなきゃいけないのか、と。何の説明もされてないですから。
司会;勾留期間、警察には何日間いたんですか。
B君;僕は延長もあったので約20日位ですね。
司会;その間に弁護士に面会をしたということはありましたか。
B君;僕が警察の留置場にいる間に、弁護士さんと会ったのは1回だけです。
司会;それは栄枝弁護士ではないんですね。
B君;ええ違います。当時は三人を一人の弁護士がみるということで、一人の先生がついていたんですけど、その先生に会ったのが、留置場で1回、鑑別所に移って1回、計2回会っているんですけど、その後その先生にやめていただき、栄枝先生たちに代わったということです。
司会;その弁護士にはやってないとは言っていないですか。
B君;言ってないです。僕の記憶では、初めてその先生に会った時に聞かれたのが、言われたのが、「やったことは仕方ないんだから」ということで、どうすれば早く出られるか減刑のための話しか聞いた覚えはないんです。だからやってないとは言えていないです。
司会;両親には面会出来たんですか。
B君;両親に面会出来たのは鑑別所に行ってからです。それまでは全然会っていないです。
司会;鑑別所に行ってら、両親に会った時に本当のことを言おうという気にはならなかったですか。
B君;そんな余裕はなかったですね。話したくても鑑別所で両親と話している時は、鑑別所の職員の方も一緒にいるんですよ。近くにいるんで、この人に聞かれたらそのことが、警察に連絡がいっちゃうんじゃないかと、そしたら又警察で取り調べを受けるんじゃないかと、それが怖くて、両親の前でもやってないと本当のことは一言も言えなかったです。
司会;そうすると、やっていないと初めて言えたのは誰に対してですか。
B君;僕が初めて言ったのは、今日は来ていないんですけど、安倍井先生に対してです。   
司会;栄枝先生と一緒の三人のうちの一人ですね。
B君;その先生に、初めてですね。
司会;どういう気持で「やっていない」って言えたんでしょう。
B君;僕はそれまで両親に会うまでは、僕のことしか考えていなくて、この先どうなるだろうとか、家族のこととか、他の人のこととか一切頭になかったんですけど、両親に会って自分の家族の話とか聞いて、僕、妹が二人いるんですけど、妹が二人とも僕のせいで学校でいじめられているという話を聞いて、初めて僕だけの問題じゃないんだと、妹にも家族にも迷惑をかけているんだから、何とかしなくちゃ、そういうふうな思いは出たんです。けど、ただそれだけの話だったら、多分僕は何も言えなかったと思います。その時一緒にA君が自分の両親に本当はやっていないだということを言っていると聞いた。本当はあいつもやっていないんだ、僕もやっていない。あいつも真実を言って僕も真実を言えば、何とかなるだろう、何とかなるかもしれない、その思いで、やっていないと初めて安部井先生に言ったんです。
司会;それで、それから後、どういうふうに話を打ち出したんでしょうか。
B君;僕は当時はどんなふうに聞かれても、今まで警察で答えたとおりの答え方しか出来ないんです。ずっとそれまで、何日もの間警察で取り調べを受けて、こうだったんだろう、ああだったんだろうと言われたら、はい、確かにこうでした、ああでしたっていう言い方だったんで、その時聞かれても、同じですよね。具体的に現場に行った時、自分が何をしてたかという話を、もう警察でしてるんで、そういう話を安部井先生から聞かれても、警察で言ったとおりの同じような答え方でした。だから最初は、先生達も疑ったらしいです。僕としては自分はやっていないんだということを、精一杯言っているつもりなんですけど、相手には伝わらなかったですね。
司会;しゃべり方、どう言っていいかも分からない。やっていないということを伝え方が分からないということですね。 
B君;そうですね。分からないんでそれまでどおりの、今まで警察に対して多分同じようにしか、それしか言い方が分からないんです。
坪井;大人なら、聞かれたらどう答えるかっていうのが、警察で学んだパターンで…。
B君;そう、その時はそうですね。
坪井;それはだんだんほぐれてはいったんですか、しゃべればいいんだということは審判の過程で。
B君;ダメですね。治らなかったですね。僕は当時気づかなかったんですけど、後々になって、先生と話してたり、その話が出ると、確かにそうだなと思うんですよ。最初の審判の前に、先生達と話しをして、「こういうふうに話しましたとか、こういうことにしました」と最後にそれを一言付け加えると、それだけでも全然違うから、と言われて、その通りに話したというだけで、当時は、誰かにこういうふうに話せと言われたから、話していただけですね。
司会;今は、ずいぶんなめらかに自分のことを話せるようなんですけど、当時は、10年前とは違いますか。
B君;そうですね。当時僕は友達はあまりいなかったんです。親しい友達との間だったらそれなりに話はするけど、全然付き合いのない人には、僕自身がいやだったんで、全然話はしなかったです。だから、当時はほとんど誰かにどう話せばいいかというのは、分からなかったです。
司会;それは基本的にあなたから話すというよりは何かを聞かれた時に答えるというパターンですか。大人の場合とのしゃべり方は。
B君;そうですね。今でもそういうところありますけど、当時は大人と話している時は全部そうでしたね。
司会;裁判官がいる審判廷に行きますよね。そうすると裁判官と話をすることになりますけど、裁判官から聞かれると、あなたがしゃべれないという状況はあったわけですか。
B君;はい。
司会;裁判官の質問に対して、あなたは、答えることは出来たんですか。自分の気持を。
B君;全部ではないんですけど、自分が何を聞かれているか、分かったことに対しては自分の思いで答えられるんですけど、ほとんどが相手が何を言っているのか分からないんです。専門用語とか使われるので、こっちは専門用語を使われても、どんな意味で言っているかも分からないので、どう答えればいいのかも分からないっていうことが多かったです。
司会;つまり質問の内容が分からないということですね。
B君;そうですね。当時は全然分からなかったですね。
司会;それに対して、あなたはどういう意味でしょうか、ということは聞けたんでしょうか、裁判官に。
B君;いえ何も聞けないですね。
司会;質問の意味も分からないまま、どうするんですか。
B君;多分、こんなことを聞いているんだろうという程度ですね。全部が全部分からないわけではないんで、その時その時に分かる言葉だけで、自分で理解できる言葉だけで、多分こういうことを聞いているんだ、という憶測でものを答えたという、それだけです。
司会;あなたの場合に審判での中は、付添人がいて、それをフォローしてくれるということはありましたか。
B君;僕は審判の内容は全然覚えてないんです。となりの栄枝先生に。

司会;栄枝さんにふりますけど、どうでした。審判廷の彼の様子はどうだったんでしょうか。
栄枝;やはりですね。審判廷における審判官の質問の意味が分かりにくいということはありました。それは一般的に大人と子どもの関係の配慮が足りないというだけでなくて、やはり専門家の世界の中にいる審判官の質問の仕方の問題というのもありましょうか。子どもに対して分かりやすく、その心を開いてあげてという姿勢がないので、むしろ、嘘を言っているんだろうと、本当は自白したとおりやったんだろうというような姿勢で聞くものですから。中にはトリッキーな、罠に陥れるような質問もありました。例えば具体的なことですね。やっていないと言っているのに、じゃ、その次どうしたんだというようなことを、やったことを前提としてですね、じゃあ、その次お母さんはその時どうしてたんだ、とかですね。これは誤導なんですけど、裁判官はそういうのを割と平気で言って、そうすると本人は例の取り調べの時に言われた、その次どうしたんだ、ああしたんだという架空の世界の筋書きの中に戻ってしまって、ああ、その時お母さんはここにいましたとか、ですね、なんか変な話になってしまった。子どもに対して追及している場合に大人とは違うんだという配慮がない。だからそのB君としては、本当はこうでしたという話を聞かれているのか、それともどういう風に答えさせられたのかというのがきちんと分別できないので、その意味で審判廷で彼が答える時に混乱したんでしょうね。
司会;それの過程においてもあなたの場合にはアリバイというのも含めて、何回も審判が開かれていたんですね。

B君;はい、開かれました。
司会;で、審判中の身柄なんですが、鑑別所にいられるのは、4週間か3週間ですよね。結局、審判が終るまで、鑑別所にいたことになります?
B君;3回目の審判の時に鑑別所を出た、その時に初めて鑑別所を出て、在宅だということを言われました。ただ僕もその時は何をいっているのか意味が分からなかったんですけど、家に帰れるっていうのは分かりました。ただ、そのあとも、しばらくは審判は続きました。
司会;つまり、あなたの場合、4週間の期限が切れて、そのあとも審判は続いたんですね。
B君;いや、4週間の期限が切れる直前で出られたんです。
司会;それで、あなたの場合は家に戻ってそれから審判が何回か開かれていったということですね。審判にも出たし、逃げず最後まで審判廷に出て結論がでるまで戦ったということになりますね。
B君;はい。
司会;留置場の中にいるにも出たい出たいということを言ってましたけど、鑑別所の中にいる時もやはり、そうなんですか。出たいという気持は同じですか。
B君;そうですね。変わりなかったですね。とくに僕は、5、6人の大部屋と1人の小部屋があるんですが、僕は小部屋に一人で入っていたんです。話し相手も誰もいない、好きな時に誰かと話せるというわけでもないんで、それだけでもう、どうしようもないんですよね。話し相手がいないというだけで、どうしようもなく出たくてしょうがない。その上、又いつ誰が何を聞きにくるか分からないし、又嫌なことを話さなきゃいけないんじゃないかというのもありますし。一番に思ったのは、家族に会いたいということですよね。どうしても出たくて出たくてしょうがなかったですね。
司会;そういう意味では、4週間ていう期限ていうのは決して短くはなかったんですね。
B君;かなり長いものでしたね。
司会;あの仮の話になるんですけどね。こういう先程の審判というのがありましたね。記憶にも残っていない位、あなたにもよく分からないことだったようなんですけど、その際、栄枝さんがいったように、あなたは、それからどうしたというようなことを聞かれると、前の警察の時の取り調べのストーリーに戻って答えてしまったようなんだけれど、そういう場にね、あなたを取り調べてた、同じタイプの検察官の人がくるかもしれないというのが、今回の改正法案ということは聞いていますよね。それについて、御意見あるのですね。
B君;僕があの時の審判、その場に検察官がいたら、弁護士の先生方がついていても、多分、検察官に聞かれたら、今までどおり、警察で答えたとおりの答え方しか出来ないか、もしくは誰に何と聞かれても裁判官であろうと、弁護士の先生であろうと、誰に何を聞かれても、怖くて、「はいはい」、とか「はい、そのとおりです」とか、そういう答えしか出来ないんじゃないかなというふうに思います。
司会;その場に弁護士がいても、検察官とか、裁判官から、あるいは誰から聞かれても、そうなっちゃうんかもしれないっていう、その気持。それはどこからくるのですか。怖いっていうのは、何に対して怖いのですか。
B君;警察や検察の取り調べの怖さですかね。それが一番残っているのです。今でもそれが残っていて、もう二度とああいう思いはしたくないって思うんです。他のことはだんだんと忘れているのですけど、その時の怖さだけはもう忘れることが出来ないので、その怖さっていうのは、警察では取り調べなどの怖さ。
司会;それがある限り、審判廷で又、同じように質問されれば、もう、とにかく「はいはい」と言ってしまうだろう、ということでしょうか。
B君;そう、そうですね。
司会;大人がたくさんいる、相手がたくさんいるっていうことは大変なことですか。
B君;そうですね。1対1でも、僕なんかは当時やりとりするのはいやでしたから、それが複数の人になると、余計にやりとりが出来なくなってしまいますね。
2.17市民集会
司会;他に付け足して言いたいことがありますか。
栄枝;今の少年の受けた怖さということなんですけれども、B君がここやっとリハビリじゃないですけれど、こうやって話すことが出来る状態になりましたけど、あとのA君とC君は、10年たった今、やっとですね。その恐怖をもうちょっと、冷静に客観的にみることが出来る様になったと言えるくらい、この10年間苦しんできていたようです。それはB君から聞いた話なんですけれども。要するに、警察の厳しい取り調べというものを、何となく言葉で理解することしかできないわけですが、実際、少年からみると、その恐怖感、苦痛、そして、心に与える傷というのは非常に深刻なものがあって、10年たってやっと、そこから解放されるというほどのものだということですね。B君としても、今なお夢に出てくるという位の出来事です。ですからそれほど、傷つくような取り調べというものが、先行しているという中で、少年審判は考えなくてはいけないだろうと思います。

(B君 栄枝明典弁護士 司会 坪井節子)

2000年2月17日
「少年法『改正』法案は冤罪を増やす!
草加事件・綾瀬母子強殺事件を通して」
(検察官関与に反対し少年法を考える市民の会主催)より