声明文
本日、最高裁判所第一小法廷は、いわゆる草加事件の民事賠償訴訟について、少年らを殺害事件の犯人と誤認した東京高等裁判所の判決を破棄し、同裁判所に差し戻すとの判決をしました。上告人である少年側の主張事実を全面的に認めて原判決を破棄したことは、少年らの無実の主張を認めたものとして評価できるものです。しかし、少年側の主張を認めながら東京高裁に審理をやり直しさせることは、すでに民事裁判だけでも11年余、少年審判からは一五年にわたる長期裁判によってえん罪に苦しみ続けてきた元少年ら及びその家族に対し、一層重い負担を強いるもので、人権への配慮のない不当な判断といわざるを得ません。しかも、先の口頭弁論で強く指摘した通り、少年審判手続での証拠を踏まえ、新たな証拠を加えて精緻な分析と論理で少年らの「無実」を明確に宣告した浦和地裁の一審判決を見れば、これ以上の審理が不要であることは明らかです。真に人権の最後の守り手である最高裁がなすべきことは、少年審判手続きにおいて少年らを「有罪」とする保護処分決定を確定させた自らの誤りを率直に認め、早期に冤罪から救済する「破棄自判」をすることであり、少年再審が少年法の欠陥のために封じられているもとで、事実上「再審」の重要な役割を果たすことでした。いずれにせよこの最高裁の判決によって少年らの無実が一層明らかになった以上、差し戻し審は速やかに審理を終了させ、少年らの人権の早期回復に努めるべきです。
少年ら及びその家族が冤罪を晴らすために費やしてきた15年の歳月は、余りにも長く過酷なものであり、その中で失った彼らの大切な時間は戻ってくることはありません。そもそも、少年らの無実を証明するAB型の物証が捜査の早い段階で明らかになっていながらこれを隠匿し、少年らに嘘の自白を強いて家庭裁判所に送致した捜査機関の責任は重大であります。そればかりか、証拠隠しが明るみになった後には、これを糊塗するために虚偽の報告書を作成するなど証拠に工作を加え、裁判所の判断を誤らせた草加警察署と浦和地方検察庁は、「司法の犯罪」たる冤罪を生んだ重大な過ちを反省し、少年らに対し真摯に謝罪をすべきと考えます。しかも、その捜査の誤りが真犯人の追及を不可能にしたことで、本件殺害事件の被害者及びその遺族に対しても深刻な被害を与えたことになり、その社会的責任は重大です。
草加事件は現在の少年法にもとづく審判のあり方や構造が生んだ冤罪ではありません。本件冤罪は、捜査機関の証拠隠しに起因するものですが、根本的には、科学的捜査によらず自白獲得の取り調べに重点をおく旧態依然たる犯罪捜査の在り方に原因があり、そして、それを追認してしまう裁判官の基本姿勢が生んだものです。「自白」の虜になった裁判官は、客観的証拠や「自白」の分析精査を怠り、たどたどしい表現ながらも無実を訴える真剣な少年らの言葉に耳を貸さず、先ず「結論ありき」で証拠に基づかない抽象的可能性論により「有罪」の論理を作文したのです。その意味で、草加事件は、これまでの裁判史上で苦い経験を繰り返してきた死刑再審事例等の幾多の冤罪と同様、捜査から刑事裁判全体に通じる“自白偏重”がもたらしたもので、古くて新しい問題を改めて提起しているのです。この自白偏重の悪弊が無くならない限り、少年審判のみならず刑事裁判においても正しい事実認定を実現できないことは明白です。本日の最高裁判決は、改めて自白偏重の誤りと危険を指摘し、少年審判のみならず司法に携わるもの全体に対しその戒めを示したものといえます。 特に、少年事件の手続にあっては、捜査から審判に至るまで少年の人権と教育保護の理念を尊重し、虚偽の供述が生まれやすい様々な特殊な事情に細心の配慮をしなければならないことを、この草加事件の教訓として生かされるよう切に望むものです。
2000年2月7日
少年冤罪草加事件弁護団